初めて開催された「佐渡島の金山」追悼式=11月24日、佐渡市相川栄町
初めて開催された「佐渡島の金山」追悼式=11月24日、佐渡市相川栄町
受付が設けられた追悼式会場=11月24日、佐渡市 佐渡市相川栄町
「佐渡島の金山」追悼式であいさつした生稲晃子外務政務官=11月24日、佐渡市相川栄町
追悼式後、取材に応じた佐渡市の渡辺竜五市長(右)と中野洸式典実行委員長=11月24日、佐渡市相川栄町

 11月24日に新潟県佐渡市で初めて開かれた、世界文化遺産1975年に発効した世界遺産条約に基づき、歴史的建造物や遺跡を対象にユネスコが人類共通の財産として登録する。国内では姫路城などが登録されている。世界遺産にはほかに、貴重な生態系などの自然遺産と、文化と自然の要素を併せ持つ複合遺産がある。登録の可否は世界遺産委員会が決める。佐渡島(さど)の金山「相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」の二つの鉱山遺跡で構成。17世紀には世界最大級の金の産出量を誇った。金の採取から精錬までを手工業で行っていた時代の遺構が残っているのは、世界的に例が少ないとされる。」に関わる全ての労働者のための追悼式は、韓国側が参加しない形で終わった。日韓の歴史認識を巡る問題は、登録までの過程でも常に佐渡金山に付いて回った。地元からは「登録後も翻弄(ほんろう)され続けるのか」とため息が漏れる。一方、専門家は準備を重ね開催した地元の対応を評価した。

 追悼式の会場「あいかわ開発総合センター」(佐渡市相川栄町)には約100席が用意された。しかし、韓国側の不参加で約20席は空席のまま。会場には、韓国メディア12社を含む報道陣約50人が詰めかけた。

 約30分で終わった式典の後、実行委員長を務めた中野洸・佐渡を世界遺産にする会会長は「(韓国側に)出席いただきたかった。残念という思いだけだ」と答え、無念さをにじませた。

韓国側が「佐渡島の金山」追悼式の参加を見送り、会場は空席が目立った=24日、佐渡市相川栄町

 佐渡金山を巡っては、登録までも文化的価値と政治のはざまで翻弄され続けてきた経緯がある。ただ、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の就任で、...

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