
長岡市役所が入るアオーレ長岡
長岡市は18日、1945年8月1日の長岡空襲1945年8月1日午後10時半から1時間40分にわたり、米軍のB29爆撃機125機が16万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。長岡市の当時の全戸数のうち8割にあたる約1万2千戸が焼失。7月20日の模擬原爆の犠牲者4人と合わせ、判明しているだけで1488人が亡くなった。大花火大会が有名な長岡まつり(8月1~3日)は、空襲翌年の46年に開かれた「長岡復興祭」を起源としている。の犠牲者が、新たに1人確認されたと発表した。空襲から80年となる1日付で戦災殉難者名簿に加える。長岡空襲による犠牲者数は、45年7月に長岡市左近地区に落とされた模擬原爆で亡くなった4人を含め、1489人となる。
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殉難者名簿への追加は...
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