「無一文で帰国し、ものすごい貧困生活だった」と語る須田一彦さん=阿賀野市
「無一文で帰国し、ものすごい貧困生活だった」と語る須田一彦さん=阿賀野市

 戦場において、生と死は常に紙一重だった。どん底から生き延び、戦い終えても苦しみは続いた。国民一人一人の命は軽んじられた。決して繰り返してはならない時代を知る証言者たちは、戦争の果てに何を思うのか。戦後80年の今、その声に耳を傾けた。(9回続きの5)

<4>人間扱いされなかったシベリアでの抑留生活…柏崎市出身・100歳の西倉勝さん

 1932年、中国東北部で建国を宣言した「満州国」。その実権を握る日本は「五族協和」「王道楽土」を掲げ、満州への移住を強力に推し進めた。豊かな暮らしを求め、海を渡った開拓者たちはしかし、その国策に翻弄(ほんろう)された。ソ連(現ロシア)軍の侵攻で日本軍に置き去りにされ、敗戦後は虐げられていた現地人に怒りの矛先を向けられた。

 4歳のとき、家族で満州へ移った須田一彦さん(88)=阿賀野市=は、「守ってくれるはずの軍隊に見捨てられた」と振り返る。そして...

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