最大震度7の地震が東日本を襲い、津波は陸を駆け上がった。東京電力福島第1原発は、周辺に放射性物質を拡散させる世界最悪級の事故を起こした。
被災地だけでなく、離れた場所で報道を通じてでさえ、多くの人が災害の恐ろしさを痛感したことだろう。
ひとたび原発に過酷事故が起きてしまえば、途端に暮らしが断ち切られ、故郷が奪われることを知ったはずである。
あの日感じた恐れと痛みを忘れてはいないか。東日本大震災と原発事故から15年となった。
震災で亡くなった人は1万5901人に上り、関連死も3810人に及ぶ。現在も2千人を超す人の行方が分からない。
今も残る傷を直視し、それぞれの復興を支えたい。次の惨禍を防ぐために、教訓を学び取ることも重要だ。
震災直後、「壊滅的」といわれた被害から復興を進めた被災地の努力は想像を絶する。
◆進まぬ事前復興計画
それでも、大規模な被害を受けた市町村では、震災から15年を経ても人口流出に歯止めがかからない。深刻な状況だ。
震災で637人が犠牲となり、町面積の約4割が津波で浸水した宮城県山元町では、「悲劇を繰り返させない」と内陸移転を進めた。しかし、住民の合意形成は難航し、まちづくりに5年以上を要した。
この間に住民が町外へ転出し、2025年の人口は1万1291人と、12年から2割減った。震災当時の町長は「想像以上に流出が進んだ」と認める。
人の流出は復興の力を削ぐ。被災地域の主要産業である水産業は、外国人材で人手不足を補うが震災前の水揚げ量には及ばない。税収が減り、住民サービスが縮小する恐れもある。
同様の事態は全国で起き得るが、事前に地域再建の計画を策定している自治体は全国の2%にとどまる。被災時、合意形成に時間を取られず復興に向かえるよう、対策を進めたい。
福島第1原発事故の影響を受ける福島県では復興に着手できない地域もある。富岡町など7市町村にまたがる約309平方キロは、今も「帰還困難区域」で原則立ち入り禁止だ。
県内外で2万3千人余りが避難を続け、本県で避難生活を送る人も多い。
大熊町から阿賀野市に避難した大賀あや子さんも、その一人だ。自宅周辺は重点的な除染で22年に居住が可能になったが、被ばくの恐れを拭いきれず、先月自宅を解体した。
「原発事故で古里をなくした」という大賀さんの悔しさは、避難中の多くの人が抱く思いだろう。事故は過去の問題ではないと胸に刻む必要がある。
◆課題よそに原発回帰
国と東電は51年に廃炉を終えるとするが、進みは遅い。炉心溶融が起きた1~3号機に880トンあると推計される溶融核燃料(デブリ)のうち、取り出せた量は計1グラムにも満たない。
東電ホールディングスの小早川智明社長は、作業は「より困難な領域に突入する」と述べる。事故から時間がたっても、原発という技術を制御する難しさが浮かび上がるばかりだ。
福島県内で保管されている1400万立方メートル超の除染土や草木も、45年3月までに県外で最終処分すると法律で定めるが、処分先は決まっていない。
課題が山積する中で、政府は原発回帰を鮮明にしている。
国のエネルギー基本計画では原発事故後、原発への依存度低減の方針を掲げてきたが、22年に岸田文雄政権が最大限活用へ転じた。運転開始から60年を超える原発の稼働や、廃炉となった原発の新設も容認した。
国の方針転換の下、本県の柏崎刈羽原発6号機が今年1月、事故を起こした東電の原発として初めて再稼働した。
重大な転機だが、再稼働前後に制御棒の関連トラブルが相次いだ。6号機の30年超運転に関する審査資料に誤りが多数見つかった問題なども判明した。
国や東電は過酷事故に学んだのか。立地地域の不安を軽んじることがあってはならない。
震災15年を前に、日本世論調査会が全国3千人を対象にした郵送調査では、原発は「将来的にはゼロ」との回答が52%と最多で、「今すぐゼロ」の回答もあった。根強い脱原発の声は安全性への疑念の表れといえる。
国は福島事故に謙虚に向き合い、国民に信頼されるエネルギー政策を講じるべきだ。

