ハンディを乗り越え競い合う姿は、感動と勇気を与え、共生社会へ向けた機運を高めたはずだ。一方、国際社会の分断が大会に影を落としたことは残念でならない。

 ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックが閉幕した。

 第1回から半世紀になる節目の大会に、史上最多55の国・地域が参加した。メダルを獲得した国・地域も最多の27となり、冬の障害者スポーツの広がりを見せた。

 日本は、冬季パラでは海外大会最多の44選手を派遣したが、メダルは銀3、銅1の計4個だった。金メダルを取れなかったのは24年ぶりとなる。

 選手の平均年齢が1992年以降で最も高い37・8歳で、女性選手の出場は44人中10人だった。次世代の育成や、新たな選手の発掘に課題を残したと言える。

 そんな中でアルペンスキー女子座位の村岡桃佳選手が、個人通算獲得メダルを11個に伸ばし、冬季パラでの日本勢単独最多となった。昨秋に大けがをしたにもかかわらず、諦めなかった姿勢に見習うことは多い。

 日本女子最多の6大会連続出場となった新潟市西区出身、出来島桃子選手はノルディックスキー距離女子立位の2種目に出場した。

 「最後までしっかり走れた。やり切った」と達成感をにじませ、現役引退を表明した。

 51歳と日本選手女子では最年長でもあった。長年の努力を心からたたえたい。

 国際情勢が混沌(こんとん)とする中での大会だった。

 米国とイスラエルの攻撃を受けるイランは、安全に渡航できないとして出場を断念した。

 ウクライナに侵攻するロシアと同盟国ベラルーシが国を代表しての参加が認められたことに、ウクライナは反発し、開会式と閉会式をボイコットした。

 チェコやドイツの選手は、表彰台の写真撮影で、ロシア選手との接近を拒否したり、一緒に自撮りすることを拒んだりした。

 友好を深めるはずの平和の祭典に、戦火がこうした事態を引き起こしており、悲しいことだ。

 温暖化の影響も顕著に表れた。スキー競技の会場では山肌の露出が目立った。雪が解け「滑りにくい」と語る選手もいた。

 米国の研究機関によると、この50年間で現地の3月の平均気温は2・5度上昇した。2月開催などを含め、今後の運営の在り方を急いで検討しなければならない。