新潟水俣病闘争を支える共闘会議で長らく議長を務め、被害者にも弁護士仲間にも慕われた。反権力を貫き、悲憤をあらわにする姿から「ケンカ洋二郎」と呼ばれた。昨春亡くなった中村洋二郎さんの面影をしのぶ
▼あの日も怒っていた。ちょうど2年前、新潟水俣病の公式確認の日に被害者が環境省側と面会した。当時の国定勇人環境政務官は未救済者への対応を巡り「対話を重ねる」と繰り返した
▼中村さんはそんな段階ではないと食い下がった。既に何十年も被害の実態を伝えてきて、司法も国の患者認定制度の不備を何度も指摘してきたと語った。「遅すぎる。もう待てないんですから」。被害者の思いそのものだった
▼会場を後にする中村さんは普段の柔和な表情を取り戻していた。「ついカッカしてしまった」。素をさらけ出した気恥ずかしさのようなものを漂わせた。その中村さんはもういない。未救済者を巡る議論は進展していない
▼公式確認から61年となった一昨日も環境省との「対話」があった。終了する間際、症状に苦しむ82歳男性が発言した。「全く前進がなかった」。怒気が言葉になってあふれる。「そのうち私は終わりです。環境大臣の顔は一人一人覚えています。恨んで死にますよ」。現実に水俣病訴訟の原告は何人も他界している
▼被害者側が面会を切望した石原宏高環境相はこの日、新潟には来なかった。本州で初めてトキ放鳥が行われた石川県能登で、トキを空に放つ晴れがましいご大役を果たしていた。
