日本文理高校野球部総監督の大井道夫(81)が監督だった2009年、夏の甲子園で新潟県勢初のベスト4に進出。準決勝で名門・県岐阜商を2対1で破り、夢の決勝に駒を進めた。
相手は春4回、夏6回優勝の強豪・中京大中京(愛知)。序盤は点を取り合い、互角の展開。6回裏、一気に6点を奪われ、旗色が悪くなった。4対10で迎えた最後の攻撃を前に大井は言った。
「このまま帰るのは、しゃくだろう。なんとか1点でも2点でも取ろうや」
しかし、先頭の8番若林は三振。続く中村は遊ゴロ。あっという間に「あと1人」に追い込まれた。そこからの怒濤(どとう)の反撃を、誰が予想できただろう。
1番切手が四球で生きた。2番高橋隼がセンターへ2塁打、3番武石がライトへ3塁打。がぜん、甲子園の空気が熱気を帯びた。吉田が死球、高橋義が四球、さらに投手・伊藤がレフト前に運んで4点目。2点差に迫った。
9回2死から6人連続出塁。さすがの中京大中京も明らかに浮き足立っていた。その時、大井の頭に2年生の顔が浮かんでいた。
「その選手を代打に送ろうと。そしたら主将の中村たちが来て『石塚に打たせてください』と言うんだ。練習試合で三振ばかりだし、カーブが打てない選手だから、大丈夫かと思ったけど、選手が言うんだもん、聞かないわけにいかない」
大井は3年生たちが望む石塚を代打に送った。
「そしたら、初球のカーブを見事に三遊間に打った。あれには驚いた。本当に、甲子園が打たせてくれたというのかなあ」
ついに1点差。異様な興奮状態がさらに甲子園を覆い尽くした。
私は、勝負師と呼ばれた大井が、甲子園決勝の土壇場で...
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