お慕いしていた高田賢三さんが亡くなりました。驚きと悲しみで言葉もありません。
賢三さんと出会ったきっかけは、賢三さんの母校・文化服装学院(東京)の学長を務めた小池千枝先生のおかげでした。
1985年、日本でのショー開催のためにパリのスタッフと来日した時で、賢三さんが当時学長だった小池先生を訪ねました。
その時、生徒5人ほどのデザイン画を賢三さんが見る機会がありました。作者の一人が私でした。
後日、私が小池先生に呼ばれ、「あなた、賢三さんのところに行ってらっしゃい」と言われたのです。
学生のころ、一番憧れていたデザイナーが賢三さんで「いつかはパリに行ってみたい」という夢がありました。仕事をしたこともなく、飛行機に乗ったこともなく、フランス語も英語もできない私がこんなチャンスをもらえるとは。
運命に身を委ねることを決め、86年5月8日、自分の誕生日にパリに着きました。KENZO社ではデザイナーとして働くことになりました。スタッフはフランス人、イギリス人、日本人らがいましたが、幸運にも一番重要な仕事を担っていたのが賢三さんら日本人スタッフだったので助かりました。
仕事場の廊下には小さい冷蔵庫が置いてあり、中にはビールやシャンパンなどが冷えていました。賢三さんは大のシャンパン好き。夕方になると「そろそろ開けようか」と言い、「プシュッ」という音が聞こえて来ます。しばし手を止めたみんなが笑顔で乾杯することもよくありました。
賢三さんは低めのちょっと響く特徴のある声で普通に話しているのですが、妙に面白い話が出てくるので場が笑いに包まれました。
センスが良く、おしゃれな人でもありました。憧れの人の近くで仕事をさせてもらうことができて本当に幸せでした。どうもありがとうございました。去年の80歳の誕生日パーティーにお会いしたのが最後になってしまいましたね。
心からご冥福をお祈りいたします。

高田賢三さん(中央)の誕生パーティーで一緒に記念撮影=2019年、パリ
佐久間 聡美さん(新発田市出身)
(佐久間さんは1963年生まれ。パリ在住の服飾デザイナー、刺し子クリエーターです)