家族写真を見て思い出を語る熊倉陽子さん(左)と夫の勝さん
家族写真を見て思い出を語る熊倉陽子さん(左)と夫の勝さん

 戦後78回目の夏がやって来た。2023年も多くの新潟日報読者から、戦禍の記録や手記、遺品が寄せられた。その一つ一つが、戦時を生きた人々の証しだった。伝えたいと願う人がいる。受け継がなければと誓う人がいる。過去から託された思いを未来につなげ、平和を考える。

 新潟県阿賀野市の熊倉陽子さん(82)、勝さん(90)夫妻の元には、陽子さんの父・山口定蔵さんの日中戦争従軍記と、その妹のハルイさんが戦地へ送った手紙が残る。「戦争では兵士も家族も苦しむということがよく分かる史料だ」と大切に保管している。

 「家のことは大丈夫ですから心配せず、御国の為に尽くして下さい」。ハルイさんは1936年に入営した兄へ、分田村(現阿賀野市)に住む家族の様子を知らせる手紙を月1回程度送っていた。母を早くに亡くし、父は酒癖が悪かった。6人きょうだいで姉は嫁ぎ、長男の定蔵さんも兵隊に取られた。ハルイさんは15歳で一家の中心になった。

 母親代わりに家事や家計の管理を担い、3人の妹たちの...

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