蛙(かえる)の子は蛙。40歳でランニングを始めた際、そう思った。同じように40歳ごろ走り始めた父は、マラソン大会参加では足りず、還暦記念に住まいのある東京から、故郷の新井市(現妙高市)まで300キロを10日で走破した。自分も今住むロンドン市内を走るのに飽きた時、近所を流れる運河の脇を、その源泉まで走ってみようと思い付いた。

 英国では輸送用水路ネットワークが発達しており、運河はその主役。産業革命前後から、さまざまな物資をナローボートと呼ばれる船が運搬できるように造られた。その船をけん引していたのは馬で、運河脇には馬が通る小道がある。走るには最適。近所の運河はグランド・ユニオン・カナルといい、ロンドンから英国第2の都市バーミンガムまで230キロ。これを6回に分けて走ることにした。

英国の田舎の典型的な運河の景色。右側が走った小道。ナローボートも運河に浮かんでいる

 走り始めると、さまざまな発見があった。丘陵では運河はロック(水門)で水を上げ下げして数メートルの段差を越える。ロックが10カ所も連続する所もあった。長い水路橋で谷を越えたり、丘の地下を運河がトンネルで直進したりと、地形に合うようなさまざまな工夫もあった。

 ロンドンを抜けると羊や馬がいるのどかな田園風景に変わる。通りすがりの人がにっこり笑ってあいさつしてくれるし、「どこから来たの?」と話しかけてくることも。田舎町のホテルで食事をしていたら、職員や宿泊客がテーブルまで来て、ランニング談議を始めたり、出発時には手を振って見送ってくれたりした。こんなこと、ロンドンじゃまずない。身体は疲労困憊(こんぱい)でも距離を重ねるたびにすてきな体験も増え、いつしかバーミンガムは、はるかかなたの楽園のイメージに。でもいざたどり着いてみると、道中たくさんの人にお世話になった村々に比べて、ごみも多いし、人々もよそよそしい、普通の都会だった。

 そりゃ人生に楽園なんてないし、旅にも終わりなんてない。次はどこを走ろうかな。


春日 良規さん(英国新潟県人会会員)
 (春日さんは1968年、東京生まれ。日本の金融機関に勤務し、10年以上欧州に滞在しています)