2002年11月。私の両親は、ロンドンに住む私たち一家と同居するために、慣れ親しんだ新潟を後にしました。両親共に持病があり、気候変動の激しい新潟で老後の生活を続けていくのが難しいと考えた末の結論でした。

 当時は親の英国移住に関してそれほど厳しい状況ではなく、弁護士を通しての申請で、半年で永住許可が下りました。

 病弱な両親は、渡英後真っ先に、英国の国営医療制度(NHS)に加入しました。両親が加入した当時は、NHSの基本精神「万人への普遍的な医療サービスの提供」の下、留学生や移民、外国人観光客なども無料で必要な医療が受けられました(現在は対象者の資格ハードルが上がりました)。登録時60歳を超えていた両親は、老齢者向けの医療サービスをすぐに受けられるようになりました。

 高齢者の両親を遠く離れた英国に連れてくるのは正直不安でしたが、元気に暮らす姿にほっとしていた矢先、父が末期の胃がんを患っていることが分かり、プライベートではなくNHSのがん治療を勧められました。

 普段サービスが悪い、遅いとたたかれているNHSですが、父のような重篤患者は迅速に対応してもらえました。がん治療の支援団体が派遣する専属ナースのケアプランの下で、2週間おきの薬物治療、手術、入院、その後の在宅緩和ケアのサポート、ホスピスへの入園…と、書ききれないほどの無料の医療サービスを受けることができました。

 英国の手厚い無料の医療サービスに感謝しながら、約2年間の闘病生活の末に12年、父はホスピスで静かに息を引き取りました。生前苦しい思い出が多かった新潟の雪でしたが、父が昏睡(こんすい)状態で母の名前を呼び、「雪が降っているなぁ」が最期の言葉になりました。

 私は故郷を離れて35年以上。でも最期に見る夢はやはり舞い散る雪なのだろうかと、父の位牌(いはい)に手を合わせながらふと思う時があります。

父の遺灰をまいたロンドン郊外のタプローコート内の梨の木に毎年お参りに行きます


佐藤 房子さん(新潟市出身)
 (佐藤さんは1985年から英国在住。会計士の夫、娘、2002年に移住した母、保護猫2匹と暮らしています)