長岡空襲で犠牲になった9少女の名前が記された遺影をきれいにする宝来寺住職の乙川大樹さん=阿賀町豊実
長岡空襲で犠牲になった9少女の名前が記された遺影をきれいにする宝来寺住職の乙川大樹さん=阿賀町豊実

 1945年8月1日の長岡空襲で犠牲となった新潟鉄道教習所の女子教習生9人の位牌(いはい)が、福島県境に近い阿賀町鹿瀬地域の宝来寺に残されており、2日に法要が行われる。寺は空襲で焼け出された教習生たちを受け入れ、暮らしを支えた縁から、40年近く9人の慰霊を続けてきた。住職の代替わりで供養は途絶えたが、戦後80年の節目の今年、再び少女たちに鎮魂の祈りをささげる。(長岡支社・金子悟)

 9人の少女は7月31日前後、新潟市の新潟鉄道教習所から、現在の長岡市旭町2にあった長岡分教所に疎開。直後に空襲に遭い、命を落とした。生き延びた教習生たちは、再疎開先を探し回った。しかし厳しい食糧事情で断られ続け、一部の教習生ら約50人が8月6日ごろに豊実村(現阿賀町)にたどり着いた。

 村役場職員だった故武藤惣一さんが宝来寺にお願いし、住職だった故今川文暁さんに迎え入れてもらった。広い本堂は教室となり、食堂、寝室にもなった。8月15日の終戦も寺で迎え、9月末までの2カ月近く身を寄せた。教習生の話で9人の死を知った今川さんが、寺で供養を始めた。

 宝来寺で教習生たちを出迎えた武藤さんの長男惣栄さん(93)=阿賀町=は、かすかな記憶をたどる。「四十九日(法要)があって、布に包んであった白木の位牌をまつっていた」。位牌は81年8月1日に新調され、今に残る。

 表には「空 長岡戰災遭難者霊位」と記され、...

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