反対運動の拠点として造られたやぐら。奥は団結小屋=1971年8月
反対運動の拠点として造られたやぐら。奥は団結小屋=1971年8月

 東京電力柏崎刈羽原発の約14年ぶりの再稼働が近づいている。半世紀以上前に誘致されて以来、その存在は、絶えず地域に「推進」と「反対」の議論を巻き起こしてきた。柏崎商工会議所の元専務理事で推進の旗振り役を務めた内藤信寛(85)、原発反対を掲げる柏崎地区労働組合会議の元議長で先頭に立った佐藤正幸(81)の両者の話から、建設当時や東電福島第1原発事故など、50年以上に及ぶ地域と原発の歩みを振り返る。(敬称略)

<1>1967年、荒涼とした砂丘地に建設計画…地元住民の当時の思いは?

 1969年に柏崎市議会で誘致決議が可決されて以降、東京電力は用地買収など原発建設に向けた動きを本格化していく。これに対抗しようと、地域住民で組織した「守る会連合」は71年、建設予定地内に「団結小屋」とやぐらを建設。地元の反対派は東電や国、県への対決姿勢を強めていった。

 佐藤正幸は...

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