営業運転を間近に控えた東京電力柏崎刈羽原発1号機。2号機の工事も急ピッチで進む=1985年9月
営業運転を間近に控えた東京電力柏崎刈羽原発1号機。2号機の工事も急ピッチで進む=1985年9月

 東京電力柏崎刈羽原発の約14年ぶりの再稼働が近づいている。半世紀以上前に誘致されて以来、その存在は、絶えず地域に「推進」と「反対」の議論を巻き起こしてきた。柏崎商工会議所の元専務理事で推進の旗振り役を務めた内藤信寛(85)、原発反対を掲げる柏崎地区労働組合会議の元議長で先頭に立った佐藤正幸(81)の両者の話から、建設当時や東電福島第1原発事故など、50年以上に及ぶ地域と原発の歩みを振り返る。(敬称略)

<3>2号機と5号機の増設巡り、反対派と機動隊がもみ合いに…歴史に刻まれた「公開ヒアリング」

 反対派と機動隊の激突が大きな注目を集めた公開ヒアリングを経て、東京電力柏崎刈羽原発2、5号機が着工したのは1983年10月だった。2年後の85年9月、1号機がついに、柏崎刈羽原発として初の営業運転を開始する。全国で31番目の商業用原発が産声を上げた瞬間だった。

 ところが、半年後の86年4月、原発の安全性にこれまで以上に厳しい目が注がれる事態が起きる。旧ソ連のチョルノービリ(チェルノブイリ)で起きた史上最悪の原発事故。大量の放射性物質が放出され、多数の死者が出た。

 柏崎商工会議所で事務局長だった内藤信寛にとっては、長年待ち望んだ営業運転の感慨を消し去るような出来事だった。「原発に関する物事は『良いところまで来たな』と思うと、悪いことが起きて逆風が吹く。その繰り返し。チェルノブイリもそうだった」

 81年に日本原電敦賀原発で起きた放射性廃液漏れ事故に伴い、...

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