バブル崩壊による経営環境の変化に対応するため、山本産業と上越合金工業は1993年に合併し、「上越マテリアル」が誕生した。不採算事業の縮小や関連事業の統合を断行。経営が安定すると、環境を中心に区画整理、解体工事などへと事業を拡大していった。
多角化の途上にある2000年、創業者で会長の山本耕作氏が死去した。経営の大黒柱を失ったことで、長男で社長の秀樹氏(72)は「一人では的確に対応はできない」と持ち株会社への移行を決断する。事業ごとに役割分担を明確にして各社長に権限を持たせ、迅速な経営判断ができるようにするのが狙いだった。
こうして05年、持ち株会社「Jマテ.ホールディングス(JHD)」が発足...
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