鉄板で焦げたソースの香りが食欲をそそる。食品製造のピーコック(新潟県長岡市)は、たこ焼きや焼きそばなど、祭りの屋台の定番ともいえる味を提供。1970年代から県内外のスーパーなどに続々と出店し、県内発ファストフードの草分けとなる。家庭の食卓にも届けようと冷凍食品事業に参入し、たこ焼きでは国内有数のメーカーに成長した。創業から半世紀を超えたいまも、昔懐かしい味で人々の笑顔を追い求めている。

ダイエー新潟店に出店したテナントで、たこ焼きを焼くピーコックのスタッフ=1978年、新潟市

 

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 ピーコックの原点は、55年ほど前、故・塚本勝美(かつみ)氏の米国での体験にある。

 勝美氏は浜松市出身。ジムを経営する父親の影響で、幼い頃にボクシングを始めた。中学を卒業すると電気工事業に就き、同時にプロボクサーも夢見た。

 1966年、18歳で上京してプロになり、19歳で武者修行のため渡米する。生活費を稼ぐため、選んだアルバイト先がハンバーガーチェーンのマクドナルド。厨房(ちゅうぼう)で調理を担当した。

 「厨房の隅からカウンターに笑顔で並ぶ人々を眺めていた。それが全ての始まりだったそうです」。勝美氏の妻で、ピーコック現会長の章子(しょうこ)氏(75)は回想する。

 米国でのボクサー生活に限界を感じた勝美氏は1年7カ月で帰国。ファストフードの可能性に賭け、日本での事業展開を模索する。

 ただ、ハンバーガーが日本人になじむかは自信がなかった。そこで目をつけたのが、米国生活で時折恋しくなった「日本の味」。帰国後すぐに、浜松市内のデパートに鉄板焼き店をオープンする。評判は上々だった。

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 長岡でピーコックを立ち上げたのは偶然の産物だ。大手量販店「長崎屋」にテナント出店を打診したところ、開店計画があると紹介されたのが長岡だった。

 勝美氏は71年5月、長岡駅前にあった長崎屋の地下と7階に、それぞれ十数平方メートルの小さな店を開いた。妻や地元から連れてきた仲間数人とで切り盛りし、たこ焼きやお好み焼きなどを持ち帰り方式で販売した。その場で食べることもできたが、座席を設けない飲食店は珍しかった。

会社データ
創業 1971年
創立 1972年
資本金 6370万円
売上高 41億円(FC店舗及びベトナム合弁会社分を含む)2022年5月期
事業内容 冷凍食品の製造販売、和風ファストフードのチェーン展開
従業員数 145人(パート、アルバイト含む)

 

 当初は中学校のPTA関係者から「立ち食いはみっともない」とクレームを受けたこともあった。しかし開店2カ月後、東京・銀座にマクドナルドの日本第1号店が出店。ハンバーガーを立って食べる若者の姿が連日テレビで取り上げられるとスタイルとして認知され、ピーコックの売り上げも伸びていく。

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 英語で「クジャク」を意味するピーコック。普段は小さくても羽を広げれば大きく美しくなる姿に、小規模店でも大勢の客に満足を与えられるとの思いを重ね、勝美氏が命名した。

 実際、出店には鉄板と冷蔵庫と数人のスタッフで足りた。当時は1店舗500万円ほどで出店でき、少ない自己資金で多店舗化が可能だった。

 事業拡大の転機は、73年に新潟市の万代地区に進出した「ダイエー新潟店」だ。高い集客力を誇ったダイエー内にピーコックを出店すると、当初から売り上げは月1千万円に達した。店内に座席を設け、買い物客が立ち寄って食事を楽しんだ。勝美氏の息子で現社長の塚本功(いさお)氏(44)は「フードコートという概念を根付かせたと聞いている」と明かす。

 76年には関東地方のダイエー内を中心に11店をオープンし、店舗数は20を超えた。以後もスーパーなどの一角に出店する戦略で出店を続ける。しかし、流通業界の勢力図は塗り変わりつつあった。