水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害病の一つ。が初めて公式に確認された5月1日、犠牲者慰霊式が開かれる熊本県水俣市は毎年、追悼の祈りに包まれる。被害者団体の発言中に環境省職員がマイクを切ったのは、昨年の「祈りの日」の出来事だった。あれから1年。公式確認から69年という長い歳月を水俣病と向き合ってきた人たちが今年、マイクに乗せた思いとは-。新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。が31日に公式確認60年となるのを前に、水俣を訪れ、今なお救済を求める声や次世代に思いをつなぐ活動に触れ、水俣病の現在地を探った。
(報道部・桑田実結)
1日、熊本県水俣市で開かれた犠牲者慰霊式に先立ち、浅尾慶一郎環境相らは市内の水俣病センター相思社を訪れた。
「いち早く裁判を起こした新潟...
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