新潟水俣病の被害者団体と浅尾慶一郎環境相の懇談の場で撮影する小原王明さん。「しっかり記録を残したい」と語る=5月31日、新潟市中央区
新潟水俣病の被害者団体と浅尾慶一郎環境相の懇談の場で撮影する小原王明さん。「しっかり記録を残したい」と語る=5月31日、新潟市中央区

 雄大な阿賀野川に魅せられ、飛来する白鳥をカメラで追ううちにそこが「新潟水俣病」という不条理の舞台となったことを知った。新潟市東区の写真家小原王明さん(76)はこの10年余り、阿賀野川に通う傍らで新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。被害者が救済を求め戦う姿や日常の様子を撮影し続けている。(5回続きの4)

▽涙でファインダー見えず

 新潟水俣病公式確認60年の5月31日、新潟市で行われた被害者団体と浅尾慶一郎環境相の懇談にも同席した。症状を訴え、新たな救済方法を求める被害者側に対し、浅尾氏は現行制度での対応方針を繰り返すばかり。「どうして被害者の訴えが通じないのか。国は真剣に向き合おうとしているのか」。シャッターを切りながら怒りがこみ上げた。

 東京都出身。仕事の都合で...

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