
来館者に体験などを伝える語り部の小町ゆみ子さん(左)と、補足説明をする案内説明員の小出優子さん=5日、新潟市北区の県立環境と人間のふれあい館
福島潟の近くに、環境と人間のふれあい館(新潟市北区)がある。新潟水俣病資料館ともいい、歴史と教訓を伝える県の中核施設だ。新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。に関するパネルや資料、環境教育の展示などに加え、被害者が語り部として体験や思いを伝える活動も展開。2023年度末で延べ約76万4千人が訪れた。(5回続きの5)
▽ふれあい館と館長の歩み
01年8月に開館したふれあい館の歴史は、2代目館長の故塚田真弘さんの歩みと重なる。
群馬県出身の塚田さんは、県庁で新潟水俣病を担当する生活衛生課長などを務め、03年に館長に就任。20年に76歳で亡くなるまで17年にわたって務めた。積極的に地域に飛び込み、被害者や関係者との接点を大切にしてきた。時には酒を酌み交わし、被害者が体調を崩したら自宅を見舞った。
「新潟水俣病について正しく理解してもらいたい」。塚田さんは...
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