久しぶりに沼垂診療所を訪れた元所長の関川智子さん。「本当に長い時間が過ぎてしまった」と、新潟水俣病問題の早期全面解決を願う=5月、新潟市中央区
久しぶりに沼垂診療所を訪れた元所長の関川智子さん。「本当に長い時間が過ぎてしまった」と、新潟水俣病問題の早期全面解決を願う=5月、新潟市中央区

 新潟市中央区沼垂地区の住宅街にある「旧沼垂診療所」。早期救済を目指し、国や県への要望活動で前面に立つ新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者団体「阿賀野患者会」が事務局を置く。2019年の閉所まで新潟水俣病に関する診療拠点だった場所だ。(5回続きの2)

 その土台がつくられたのは、1965年5月31日の新潟水俣病公式確認から間もない時期。前年の新潟地震の際、阿賀野川下流域の医療救援に入った当時の所長斎藤恒さん(94)を頼り、手足のしびれなど特有の症状を訴える住民が訪ねてくるようになった。

 斎藤さんはそれから約60年、診察し続けた。医療現場の一線から身を引いた今も、県などに患者認定を求める裁判で原告側証人となるなど問題解決に力を注ぐ。被害者に寄り添うとともに、...

残り1179文字(全文:1501文字)