世界史上最悪レベル原子力発電所などの事故・トラブルについて、安全上どの程度のものかを表す国際的な指標がある。INES(国際原子力・放射線事象評価尺度)と呼ばれるもので、0~7までの8段階で評価する。福島第1原発事故は「最も深刻な事故」を示す「レベル7」と暫定的に評価されている。1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故も「レベル7」と評価されている。となる東京電力福島第1原発事故2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震と津波で、東電福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の6基のうち1~5号機で全交流電源が喪失し、1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きた。1、3、4号機は水素爆発し、大量の放射性物質が放出された。後、新潟県柏崎市日本海に面した新潟県の自治体の一つ。中越地域に属する。新潟市までは約84キロ。人口はおよそ7万9000人で、新潟県内で6番目に多い(住民基本台帳に基づく2023年1月1日現在の数字)。2005年に西山町、高柳町を編入した。と刈羽村新潟県内の自治体の一つ。飛び地以外の区域は柏崎市に囲まれている。人口はおよそ4350人で、新潟県内では2番目に少ない(住民基本台帳に基づく2023年1月1日現在の数字)。にまたがって立地する東電柏崎刈羽原発1985年に1号機が営業運転を開始した。全7基の出力合計は821・2万キロワットで世界最大級だが、2023年10月現在は全基停止中。東京電力は2013年に原子力規制委員会に6、7号機の審査を申請し、17年に合格した。その後、テロ対策上の重大な不備が相次いで発覚した。終了したはずだった安全対策工事が未完了だった問題も分かった。は、全7基が停止したままだ。福島事故を起こした東電が運営する柏崎刈羽原発の動向は、国内外の注目を集める。柏崎刈羽原発で事故が起きれば、被害は新潟県全域に及ぶ可能性が十分にある。あえて原発から離れた地域を歩き、県民に原発への思いを聞く取材を始める。振り出しは新潟県の最北端、山形県境に位置する村上市中浜地区から。(論説編集委員・仲屋淳)=2回続きの2回目=

新潟県村上市中浜地区と日本海
新潟県村上市中浜の増子敏雄さん(82)と初めて会ったのは2023年7月上旬だ。午前10時すぎ、新潟・山形県境の標識から、村上市の中心部に向かって国道7号を歩いていた。
山が海岸部まで迫り、平地が少ない。わずかな平地に羽越線の列車と国道の自動車が並行して走る。この地形は、両親の故郷である新潟県佐渡市の外海府地区と同じような光景だ。

新潟・山形県境から歩き始めて約20分、海沿いにある新潟県村上市中浜地区の家並みに続く道路に入った。最初に話を聞いた男性が、近くに住む仲間の増子さんに引き合わせてくれた。
増子さんは自宅の塗装作業中で、作業着姿のまま満面の笑みで迎えてくれた。「おお、なんだ。新聞記者? まあ、暑いから入って」と、地域の住民が集まって酒を楽しむスペース「呑(の)み友会」の看板が掲げられた部屋に案内された。

小屋の入口にある「呑み友会」と書かれた看板
ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー。多くの瓶や缶が棚や室内に並ぶ。雑然とした室内だが、なんとなく落ち着ける空間だ。
増子さんは「人が好きなんだよ。さっきも北海道から九州まで国道を歩いている男性に話しかけたよ」と、山形弁に近いアクセントで話し出した。
増子さんは突然の訪問にもかかわらず、原発への考えを明快に話してくれた。
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村上市中浜出身の増子さんは中学卒業後、北海道帯広市で大工の修業を約5年間して、20歳を過ぎた頃に東京に出た。
帯広では「靴を一足買うと小遣いがなくなっちゃうほど給料は安かった」と振り返る。上京後は懸命に働いた。「頭がおかしくなるくらい頑張ったよ。人間は何でも苦労しないと駄目さ。すべてがうまくいく人なんていないけどね。失敗を乗り越えてきたよ」と振り返る。44歳で建築業の会社を東京都内に設立した。
「東京では浅草、池袋、新宿でよく飲んだなあ。60年近く東京にいたから、今でも都内はどこにでも1人で行ける。東京に出かける時は、いつ倒れても身元が分かるように財布に名刺をたくさん入れておくんだ」と笑う。

焼酎が入ったコップを持つ増子敏雄さん
部屋には社長時代に購入した真っ赤な高級外車の写真も飾ってある。そんな増子さんに、新潟県と隣県の境界で東京電力柏崎刈羽原発の再稼働の意見を聞き歩く取材の趣旨を説明した。
「歩いて生の声を聞くのは心が通うねえ。パソコンをカタカタたたいていても、人の心は分からないよ」と理解してくれた。
まず、「住民同士で原発の話をすることがありますか」と聞いてみた。
いきなりの質問に回答があるのか不安だったが、取り越し苦労だった。増子さんは、「ここで仲間と飲んでいてテレビを見ながら話すことはある。みんな自分の考えがあるよ」と真顔になった。

東京電力の柏崎刈羽原発
増子さんの話は、原発が怖いと感じた時のことから始まった。2022年3月、ウクライナ南部にある欧州最大のザポロジエ原発ウクライナ南部ザポロジエ州エネルゴダールに位置する欧州最大の原発。国際原子力機関(IAEA)などによると加圧水型軽水炉が計6基あり、うち5基は旧ソ連時代の1984~89年に、残る1基はソ連崩壊後の95年に運転を開始した。出力はいずれも100万キロワットで、ウクライナの総電力の約2割を担う。ロシア軍は2022年3月4日にザポロジエ原発を攻撃し占拠した。をロシアが攻撃、制圧したことだ。
「戦争になったら原発が住んでいる地域にあるのは怖いと思った」と、一瞬増子さんの笑顔が消えた。
ウクライナ側は2023年9月、原発の調査のために派遣されている国際原子力機関(IAEA)原子力の平和利用を促進し、軍事利用の防止を目的に1957年に設立された国連の関連機関。「核の番人」とも呼ばれる。本部はウィーン。約170カ国が加盟する。ウランやプルトニウムなどの核物質が、核兵器に転用されないことを確保する保障措置としての査察、安全対策や技術協力などを活動の柱としている。の専門家がロシアに行動を制限されている現状を訴えた。
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少し間を置き、増子さんは自身が原発の一番の問題点と考えていることを語り出した。原発から出る使用済み核燃料原発で一度使用した燃料。原発の燃料は原料であるウラン鉱石を加工し、焼き固めた「ペレット」と呼ばれるものの集合体で、使用後も見た目や形は使用前と変わらない。使用済み核燃料の中にはウランやプルトニウムなどのまだ燃料として使える資源が95~97%残っているとされる。の処分問題政府は原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を地下深くの岩盤に埋めて最終処分することを法律で定める。処分場の場所は決まっておらず、候補地の調査受け入れも進んでいない現状がある。処分場がないまま、原発が稼働して使用済み核燃料が増え続けることは「トイレなきマンション」と批判されている。だ。
日本は原発の使用済み核燃料を再処理する「核燃料サイクル使用済みのウラン燃料を化学的に処理(再処理)し、プルトニウムを取り出して混合酸化物(MOX)燃料に加工して再び原発で利用するサイクルのこと。政策」を進めるが、再処理時に出る高レベル放射性廃棄物原発の使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出す際に行う、「再処理」と呼ばれる工程で発生する。「核のごみ」とも呼ばれる。の最終処分場高レベル放射性廃棄物は、極めて強い放射線を長期間発するため、国は地下300メートルより深い岩盤に埋める地層処分で数万年以上、人間の生活環境から隔離する方針。は建設場所が決まっていない。
増子さんは「俺は建築の仕事をしてきたけどさ、家は古くなれば壊して廃材、ごみにして処分できる。でも原発は使用済み核燃料の処分ができていない。動かした原発の後始末をきちんとやるならば、原発は動いてもいいよ。後始末ができれば国民も反対しなくなるんじゃないの?」と持論をとつとつと展開する。

改造した小屋の内部を説明する増子敏雄さん
「後始末」ができれば動かしていいとは思っても、柏崎刈羽原発を動かすことには迷いがある。日本では「後始末」の形はできていないし、国民が原発を嫌う空気は感じているからだ。
「娘や孫は東京に住んでいるんだよなあ。再稼働東京電力福島第1原発事故を踏まえ、国は原発の新規制基準をつくり、原子力規制委員会が原発の重大事故対策などを審査する。基準に適合していれば合格証に当たる審査書を決定し、再稼働の条件が整う。法律上の根拠はないが、地元の自治体の同意も再稼働に必要とされる。新潟県、柏崎市、刈羽村は県と立地2市村が「同意」する地元の範囲だとしている。規制委に審査を申請した原発のうち、2023年9月20日時点で12基が再稼働している。関西電力、九州電力が11基、四国電力が1基。の判断は迷うよねえ。でも東京の人ってさ、柏崎刈羽原発から電気が来るなんてほとんど知らないよ」と語り、考え込んだ。
新潟県村上市は、原発事故時に新潟県の広域避難計画で、柏崎刈羽原発から半径5キロ圏の即時避難区域(PAZ)PAZは、英語のPrecautionary Action Zone=予防的防護措置を準備する区域=の頭文字。原発などの施設で異常事象が発生した際、事故のレベルに基づいて、放射性物質放出の有無にかかわらず屋内退避、避難などの予防的防護措置が迅速に行えるように準備する区域。対象区域は、施設からおおむね半径5キロ。の住民の避難先になっている。
取材の最後に、原発事故時に避難者が来たら助けますか、と聞いてみた。
「受け入れる。同じ人間、助け合わなきゃ駄目だ」と即答した。
=おわり=