
胎内市で避難生活を送り、故郷で消防士になった末永眞崇さん=3月11日、福島県南相馬市の南相馬消防署(写真映像部・大橋奎介)
2011年の東京電力福島第1原発事故2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震と津波で、東電福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の6基のうち1~5号機で全交流電源が喪失し、1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きた。1、3、4号機は水素爆発し、大量の放射性物質が放出された。の後、福島県の多くの子どもたちが新潟県への避難を余儀なくされた。「さよなら」を伝える間もなく友達と別れ、家族が離れ離れになることも多かった。13年前にまだ幼かった人たちは今、何を思うのか。「あの日」とその後の暮らしについて聞いた。(新潟日報社取材班)=3回続きの3=
<福島第1原発事故に伴う避難指示区域>東京電力福島第1原発事故当初、半径20キロ圏内に避難指示が出された。その後、原則立ち入り禁止を維持する「帰還困難区域」、避難を続けながら計画的に除染する「居住制限区域」、住民の早期帰還を目指して優先順位をつけて除染する「避難指示解除準備区域」に再編された。こうした地域に加え、主に30キロ圏内が該当する緊急時避難準備区域などが「避難指示等対象地域」となる。30キロ圏外は基本的に避難指示などの区域外とされ、避難しても自主的な避難とされる。
3月11日午後2時46分、福島県南相馬市内に追悼のサイレンが鳴り響いた。勤務する南相馬消防署でその時を迎えた末永眞崇(まさたか)さん(21)は、黙とうをささげ、改めて胸に刻んだ。「自分は人を守るべき立場になったんだ」
救急救命士の資格を得て2023年春から相馬地方広域消防本部で消防士として働き始め、間もなく1年。救急車や消防車で救急、消火、救助の現場に繰り出す日々だ。

小学2年生だった2011年3月、東日本大震災2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード(M)9.0の地震が発生し、最大震度7を観測。東北地方を中心に大津波が発生した。東京電力福島第1原発は電源を喪失して炉心溶融(メルトダウン)が起き、原子炉建屋が水素爆発で損壊、大量の放射性物質が拡散した。震災関連死を含む死者、行方不明者は計2万2千人超。と福島第1原発事故が起きた。南相馬市小高区にあった実家は原発から約17キロ地点にあったため、避難を...
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