高校生平和大使として活動報告をする手代木幸さん=3月9日、長岡市(長岡支社・芳本卓也)
高校生平和大使として活動報告をする手代木幸さん=3月9日、長岡市(長岡支社・芳本卓也)

 2011年の東京電力福島第1原発事故2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震と津波で、東電福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の6基のうち1~5号機で全交流電源が喪失し、1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きた。1、3、4号機は水素爆発し、大量の放射性物質が放出された。の後、福島県の多くの子どもたちが新潟県への避難を余儀なくされた。「さよなら」を伝える間もなく友達と別れ、家族が離れ離れになることも多かった。13年前にまだ幼かった人たちは今、何を思うのか。「あの日」とその後の暮らしについて聞いた。(新潟日報社取材班)=3回続きの2=

<福島第1原発事故に伴う避難指示区域>東京電力福島第1原発事故当初、半径20キロ圏内に避難指示が出された。その後、原則立ち入り禁止を維持する「帰還困難区域」、避難を続けながら計画的に除染する「居住制限区域」、住民の早期帰還を目指して優先順位をつけて除染する「避難指示解除準備区域」に再編された。こうした地域に加え、主に30キロ圏内が該当する緊急時避難準備区域などが「避難指示等対象地域」となる。30キロ圏外は基本的に避難指示などの区域外とされ、避難しても自主的な避難とされる。

 「原発事故から13年たっても、私の家族は離れ離れで生活している。私の中で震災は終わっていないが、世間の関心は薄れているように感じる」

 3月9日、新潟県長岡市のミライエ長岡。福島第1原発事故で福島県いわき市から新潟市の母の実家に避難した東京学館新潟高2年の手代木幸(てしろぎ・ゆき)さん(17)が聴衆約50人に語りかけた。

 開かれていたのは、東日本大震災2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源にマグニチュード(M)9.0の地震が発生し、最大震度7を観測。東北地方を中心に大津波が発生した。東京電力福島第1原発は電源を喪失して炉心溶融(メルトダウン)が起き、原子炉建屋が水素爆発で損壊、大量の放射性物質が拡散した。震災関連死を含む死者、行方不明者は計2万2千人超。を語り継ぐイベント。手代木さんと同様に避難者であり、核兵器廃絶を訴える「高校生平和大使」でもあった先輩が参加していた。先輩に誘われて活動報告に臨んだ。

 これまで何度も...

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