【2021/05/20】

 レジ回りの飛沫(ひまつ)防止対策や、他人との距離を取る立ち位置の表示、来店時のアルコール消毒。安心して買い物ができるように-。そんな思いのこもったスーパーの感染防止策は、いつの間にか日常の一こまになった。中越地震を経験し、今度は新型ウイルスという新たな災禍と向き合うスーパー「安田屋(あんたや)」。その「地域密着」の歩みを見つめた。

 新潟県内で唯一「飛び地合併」した長岡市川口地域。大型連休が明けると、住民の間で新型コロナウイルスの話題が口に上ることが多くなった。長岡市内で感染する人が急増していた。県は12日、同市に特別警報を発令した。

 その翌朝午前9時すぎ、川口地域のスーパー「安田屋」。総菜や肉を売り場に並べたり、刺し身を作ったりと開店準備を急ぐ8人の従業員がレジ回りに集められた。すぐに開店を控えた朝礼だ。専務の山森瑞江さん(56)が、いつもより強い口調で呼び掛けた。

 「いつ誰が感染してもおかしくない。どこかに出掛けるとしても、行動を見直して、感染防止を徹底してください」

 山森さんは従業員に、加盟する全国組織から送られてきた注意喚起の文書の内容を伝えた。関東の加盟店で、感染した従業員が亡くなったという知らせもあった。

 「小さな町で店から感染者が出たら、なじみのお客さんも来なくなる」。山森さんは、もしそうなれば、客足はそのまま戻らないかもしれない、と思う。昨春に新型ウイルスの感染が広がり始めてから、最悪の事態を想定して対策を強めてきた。

 店の入り口付近の特設売り場は、ゴールデンウイークやお盆に笹(ささ)団子などの土産品を置いたり、行事に合わせた花など季節の商品を並べたりしていた。

 その一角は今、年間を通してマスクや消毒液などの感染対策のグッズが占める。

 安田屋は、2010年に長岡市と合併した旧川口町にある唯一のスーパーだ。郊外の大型店に比べれば、店内は広いとは言えない。だが04年、地域を最大震度7の激震が襲った中越地震で被災した後も、地域の暮らしを支え続ける。

 今は感染下。遠出をしなくても、身近で買い物ができる場所は欠かせない。その営みを守るために「誰かが感染して、休業するわけにはいかない」。

 今日もいつも通り、店を開ける。

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 長岡市川口地域のスーパー「安田屋」。5月中旬の夕刻、レジを囲むように天井からつるされた透明なセロハン紙が、照明の明かりを柔らかく映し出していた。

 東京などの大都市で新型コロナウイルスの感染が広がり始めた昨年2月、店がある川口地域にとって、感染拡大はまだどこか遠い土地で起きている出来事だった。

 だが、安田屋は早くから警戒を強めた。スーパーは毎日、多くの人が買い物に出入りする場所だ。専務の山森瑞江さん(56)が感染防止策を考えていた時、レジ回りに透明なシートを設置する都心のコンビニエンスストアが、テレビに映った。店の中に使えそうなものがないか考え、花を包むセロハン紙をつり下げることにした。

 感染拡大がここまで長引くとは、予想もしていなかった。「手近にあるものを使っておいて良かった」。急場しのぎではあったが、簡単に取り換えられるセロハンは手間いらずで清潔だと山森さんは思う。

 対策にかかる経費や人手は、小さなスーパーの経営に重くのしかかる。人口減少や近隣市への大手スーパーの進出で、売り上げは年々減っている。それとともに従業員も補充せず、減らしていかざるを得なかった。現在12人。中越地震前と比べ半数近くだ。買い物かごの消毒は、手のあいた従業員がこなしている。

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 感染下で、品物の売り場も変化を余儀なくされた。

 果物の売り場は、手を触れる機会を少なくしようと試食を取りやめた。核家族化や食卓の変化で果物の売れ行きは落ちており、試食は大事な宣伝手段だった。

 それでも「たまには果物でも、と買ってくれたお客さんをがっかりさせたくない」。山森さんは試食の代わりに金額を記したポップを活用した。かんきつ類が旬を迎えると、甘みや皮のむきやすさなど特徴を分かりやすく書き込み始めた。

 「自分で食べて『これは』と思ったものは、お客さんにも伝えたい」。新鮮でおいしい商品を届けたいという思いは変わらない。

 地元女性3人が調理し、毎日数十品が並ぶ人気の手作り総菜コーナーも売り方を変えた。野菜のカットなどは前日に仕込み、翌朝6時半から調理するが、新たにパック詰めにする作業が加わった。

 以前は看板商品のメンチカツや天ぷらなどの揚げ物はばら売りで、客自らがトングでつかんでパックに詰めていた。客には好評だったが、不特定多数の人が触れるトングは、感染拡大の要因になりかねない。調理担当の藤巻育子さん(54)は「パックに詰めて店頭に並べるまでは毎朝必死。でも、この方が安心だよね」と思う。

 地域の行事は中止になることが多く、弁当や折り詰めの注文は半分ほどに減った。

 そうした中でも、顔見知りの客が藤巻さんを見つけると、「おいしかったよ」「どうやって作るの」と声を掛けてくれる。報われる。そして、元気で働ける限り、この味を、このスーパーで提供し続けたいと思う。

◆「大合併」後人口減進む

 2001年1月の新潟市と旧黒埼町の合併を皮切りに進んだ新潟県の「平成の大合併」は、本編の舞台である旧川口町と長岡市の合併(10年3月31日)で締めくくられ、市町村数は大合併前の112から現在の30へと大きく様変わりした。

 行財政基盤の強化などを掲げた大合併を受け、広域的な地域振興が図られたが、地域の存続に直結する人口減少には歯止めが掛かっていない。

 県内で唯一の「飛び地合併」となった旧川口町の場合、中越地震被災前の04年9月末時点の人口は5692人で、合併直前の10年3月30日時点には5087人となり、現在(21年5月1日時点)は4154人まで減った。

 長岡市川口支所地域振興課は「時代の流れとともに(死亡が出生を上回る)『自然減』と(転出が転入を上回る)『社会減』が同時に進んでいる。人口は少ないながらも、川口には地域を盛り上げてくれる若い世代がおり、その力に期待したい」という。