財産
最終判断 受容の覚悟も
「五輪に出られなかったら違う人生だった。選手としての大きな転換点になった」
1976年のモントリオール五輪に出場した新潟県ウエートリフティング協会の高橋雅朝会長(68)は、五輪出場がアスリートにとって一生の財産になることを身をもって知った一人だ。
選手村では他国や他競技の選手と間近で触れ合う。「一流の選手が一流の場に集う。刺激的だった。考え方が変わり、精神的に強く、発想が豊かになった」。競技だけでなく、普段の生活から自分自身を見つめ直すきっかけとなった。
80年のモスクワ五輪では絶望感を味わった。既に代表の座を得てメダルを射程圏に捉えていたが、日本は旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した米国と...
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