【2021/02/23】
妙高市長沢の高齢者向け冬季共同住宅「長沢いきいきホーム」の前に1台の車が止まる。週2回訪れるコンビニエンスストアの移動販売車だ。「これもらいますね」「飲み物なんかないかね」。総菜やお菓子が棚に並ぶ荷台の前で、3人の入居者がそれぞれの買い物を楽しんだ。
「昔はこんな簡単にものを買って食べるなんてできなかったからね。本当に困る時代だった」。入居者の大野成子さん(88)は昭和の記憶をたどった。
■ ■
1932年に長沢の農家に生まれ、若い頃から両親の米作りを手伝った。山々の中で農地の確保も難しい環境。わらじを履き、山中の田んぼに行くまで片道40分かかった。牛を引っ張り、代かきをした。田植えも手作業だった。
雪に閉ざされる冬場は仕事がなくなる。出稼ぎに行く人も多く、成子さんも静岡でみかん収穫の手伝いをした。だんだん畑の斜面を重いみかんを背負って下りた。山の上り下りに慣れた長沢の働き者は、現地の人たちに喜ばれたという。
25歳の時に地元にいた易者のすすめで結婚。「顔は知っているけど、話したことはなかった人」。嫁ぎ先で辛抱できるのかと不安はあったが、杞憂(きゆう)だった。今、長い人生を振り返って真っ先に浮かぶのは、義理の親にご飯を出すたびに言われた「ありがとね」の言葉だ。
生まれた時代や環境を受け入れ、感謝の言葉を掛け合いながら、懸命に生きてきた。共同住宅の入居者は皆そうだ。「山の中でも住めば都さ。ここでしょうがないと思って」と大野文子さん(85)が笑う。
■ ■
吉川トシ子さん(92)は11歳のとき、県境を挟んですぐの富倉(長野県飯山市)から、平丸地区の叔母の家に養子に出された。平丸で友達に恵まれた人生をありがたく思う。「人から『ばあさん、何を言ってるの』と言われても、自分で幸せだと思えればそれでいいわね」
2月中旬、大野成子さんの自宅近くに住む鴨井和岸(わきし)さん(72)が3人の顔を見に、共同住宅を訪ねてきた。猟友会の一員としてイノシシを追った話などをして、久々に明るさが戻った。成子さんとは長く近所付き合いし、共同住宅への引っ越し作業も車を出して手伝う関係。成子さんに「長沢一のいい人だわね」とほめられ、鴨井さんがほほ笑む。「仲間だもの」
今冬は新型コロナウイルス禍で、共同住宅に遊びに来るのを遠慮する住民もいるが、「落ち着いたら行くよ」といった声が電話越しに届く。
少し寂しい冬の先に、暖かい春がある。この地に根付く優しさとともに、この地でこれからも生きていく。
=おわり=
(この連載は長期企画取材班・栗原淳司、写真は永井隆司、荒川慶太が担当しました)
◎取材を終えて 確かなつながり実感
新潟県内の山間部の多くで過疎化が進む。公共交通や買い物の不便、雪の負担があり、雇用や子育ての環境も乏しい。寂しさも広がっていく。ただ、こうした課題ばかりが集落の生活の姿ではないはずだ。重く冷たい長沢の冬も、晴れた朝の光は積雪を輝かせる。
共同住宅の入居者たちは「今が幸せ」「ありがたい」と何度も口にした。苦労した時代を超えて、今は周囲の優しさと暮らす日々。地域への愛着や人とのつながりも、新型コロナウイルスが隔てた距離程度で断ち切られることはない。確かなぬくもりが感じられた。
共同住宅を初めて訪れたのは昨年1月の取材だった。地元の高校生とお年寄りたちの交流会で、共有スペースに人が密集し、一緒に遊んで笑顔が広がった。そんな光景が見られる日常に、早く戻ることを願っている。
(栗原)