「還暦で最後」の慣例を破って玉送りに挑戦する「にじ会」のメンバー。70歳の古希を祝うスターマインを奉納する=小千谷市片貝町
「還暦で最後」の慣例を破って玉送りに挑戦する「にじ会」のメンバー。70歳の古希を祝うスターマインを奉納する=小千谷市片貝町

 400年の伝統を誇り、世界最大級の四尺玉花火でも知られる新潟県小千谷市の片貝まつりが9月9、10日に開かれる。浅原(あさはら)神社(片貝町)の秋季例大祭として住民らは、人生の節目を祝ったり、亡き家族の追善供養をしたりと、さまざまな思いを込めて花火を奉納する。「花火のまち」のメインイベントである片貝まつり。2023年、人々が大輪の数々に託す思いを見つめる。(2回続きの1)

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 「これで本当の最後だ、思いっきり騒ごう」。今年、70歳の古希を迎える「にじ会」のメンバーは8月下旬、まつり屋台を前に意気込んでいた。浅原神社に花火を奉納するために町内を練り歩く「玉送り」。にじ会は、「還暦で最後」の慣例を破って異例の玉送りに挑戦する。

 玉送りは、片貝まつりの目玉行事の一つ。各町内の若衆らが笛や太鼓で「しゃぎり」をはやしながら屋台を引き回し、浅原神社を目指す。各家庭が作った花火玉をまとめて箱に入れ、町内を回ったのが始まりで、明治初期に定着したとされている。

 特に片貝中学校を同じ年に卒業した人でつくる同級会の玉送りは戦後に盛んになり、二十歳や厄年、還暦などの節目に盛大な花火を奉納するのが習わしだ。

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 「亡くなった仲間の供養と自分たちの健康祈願を込めて、集大成の花火をささげたい」。にじ会の吉井一郎会長(70)はこう意気込む。

 にじ会は約100人で、まつりと花火への熱意が人一倍強いメンバーがそろう。「玉送りをしないのはあまりにも寂しい」と吉井さんが提案した。

 古希が玉送りをするのは史上初めて。吉井さんは「ばかだと思われているかもしれないが、まつりに対する思いは他の学年に絶対負けない」と自負する。

 玉送りで使う屋台は、大八車を基にこしらえた。還暦などの時に作ったものに比べて大きさや派手さに劣るが、「原点に戻った気分で集大成にぴったりだ」とほほ笑む。

 にじ会は9日、約60人で半日かけて5〜6キロほどを歩き、スターマインを奉納する。吉井さんは「結束力を見せて、浅原の森に花火をささげたい」と力を込めた。

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 一方、二十歳を迎える同級会にとって、玉送りは大人の仲間入りを果たすための通過儀礼だ。

 二十歳のメンバーは、片貝地域を六つのエリアに分けた「い組」「に組」「ま組」「三組」「て組」「五部」の各支部を回り、浅原神社を目指す。各支部長が許可しないとエリアを通行できない習わしで、その判断基準は「まつりを盛り上げているか」。例年、支部長らから「もっと騒げ」とげきが飛ぶ。

 今年二十歳を迎える「橙心(とうしん)会」の会長、吉岡風太さん(20)は「成長した証しを示すため、思いっきり楽しみたい」と話す。

 橙心会は全員で27人。自他共に認める仲の良さを武器に、屋台作りなどの準備に励んでいる。「町民みんなに元気な姿を見てもらい、『今年の二十歳は違うな』と思わせたい」と力を込めた。

 まつりの代名詞である四尺玉には、片貝町民一同が二十歳を祝う意味合いも込められている。

 打ち上げを担う片貝煙火工業の本田和憲社長(51)は、片貝地域で若者の流出が進んでいる状況を踏まえ、「若い子たちが『住み続けたい』『戻ってきたい』と思ってもらえるようなシンボルにしたい」と準備を進めている。

<片貝まつり>約1400世帯、3800人ほどが暮らす小千谷市片貝地域にある浅原神社の秋季例大祭。400年の歴史を持つとされる。毎年9月9、10日の2日間で約1万5千発の花火が夜空を彩り、世界最大級の四尺玉は計2発、発祥地として知られる三尺玉は計6発が上がる。日中は、若衆らが打ち上げ筒を奉納する「筒引き」や、神社を目指して町内を練り歩く「玉送り」も行われる。2020年、21年は新型コロナウイルスの影響で中止となった。昨年は3年ぶりに開催され、約14万人が訪れた。