【2021/06/20】

 新型ウイルスと隣り合わせの日々で、新潟県民の心身に負荷が掛かり続けている。感染した際の生活への影響や、周囲からの差別・偏見など、さまざまな「不安」が日常にまとわりつき、時に誹謗(ひぼう)中傷の矛先は、無関係な人にまで向けられる。求められるのは互いを思いやる社会だ。そのヒントを探るため、感染下に広がる不安の断面を見つめる。

 スマートフォンを見ると、LINE(ライン)にメッセージが届いていた。新潟市在住の村山洋子さん=仮名=の娘と同じ小学校のママ友からだった。

 5月の連休前、小学校で新型コロナウイルスに感染した児童が確認された。ママ友は、娘のクラスメートの実名を挙げ、感染者かどうか探りを入れてきた。「いじめが起こらないか心配だから」「みんなで思いやらなくてはいけないから」。そんな理由だった。

 正義感に駆られての行動だと思ったが、村山さんは違和感を覚えた。感染者と特定されれば、周囲は自然とその子を意識するようになる。そこから差別的な心が生まれることを心配した。だから娘にも何も聞かなかった。

 「誰が感染したか分からなければ、いじめは起きないし、知る必要があるのかな」。そう考えを伝えると、ママ友からは「優しい~」という反応が返ってきた。生真面目だと、皮肉られた気がした。

 このやりとりを別の保護者に説明したら、同じように「(感染者の)名前を言わないんですね。優しいですね」と言われた。「知ろうとするのが普通なのかな。そっとしておくのはそんなに変なことなのかな」。もやもやした。

 いつ、どこで感染してもおかしくない状況だ。子どもの健康を思い、感染源を探ろうとする親心は理解できる。だが自分が感染者側ならば、知られたくないと思う。「悪いことをしたわけではないのだから、堂々としていればいいという人もいる。その通りかもと頭では理解できても、自分の心は割り切れない」

 感染下で不安への向き合い方は人それぞれであると村山さんは強く感じる。でも「結局、何が正解か分からない」。葛藤が続く。

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 いつものように新聞を広げたところで、長岡市に住む石山花菜さん(38)=仮名=は思わず「あっ」と小さく声を上げた。昨年末のある日。よく行くスーパーの近くにある高校で、新型コロナウイルスに感染した人が出たと記事は伝えていた。

 そのスーパーはよく買い物に使い、前日も子どもたちを連れて訪れた。従業員やほかの客もマスクをしていて、買い物で感染リスクを感じたことはほとんどなかった。でも、そのニュースを知ってからは、自身や家族への感染が心配になった。「もしかしたら」と思わずにはいられなかった。

 それから数日たった時、小学校に通う長男が一枚のプリントを持ち帰った。その中の一文が、石山さんの目に焼き付いた。「『感染者が出た場所に近づかないようにしよう』と言うのも差別になる」。家庭向けに、新型ウイルスに対するさまざまな注意事項が記された文書だった。

 それまでは、感染者が出た所からできるだけ距離を取ることは、子どもを守るために当然の行動だと信じていた。

 以前にかかりつけの小児科からもらった案内にも、ノロウイルスなどへの対処法として、ドアノブなどを消毒するよう注意喚起してあった。触れた所にウイルスが残る可能性があるからこそ、行きつけのスーパーのそばで感染者が出たというニュースに不安になった。

 でも、その不安の裏には差別の気持ちが潜み、不安が募るほど、自然と差別を正当化しているかもしれない。そう突き付けられたような気がして、石山さんの心は揺れた。その心はある日、さらに揺さぶられることになった。

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 この冬、長男が通う小学校でも感染した児童が出た。石山さんの夫は、付き合いのない職場の同僚が昼食時、「(長男が通う)小学校で出たらしいよ」と、興味本位にうわさしているのを耳にした。

 「ちゃんと手洗いもしてマスクもして、ウイルスをもらわない、うつさないように子どもも大人も生活している。それなのに、どうしてそんなことを言うんだろう…」。そこまで考えたところで、石山さんは気付いた。「ひっくり返してみたら、自分が同じことを思っていたんだ」。身近なところで感染した人が出たことで、初めて味わう気持ちだった。

 「自分は差別を差別と思わない人間だったのだろうか」。もやもやを抱えながらも、石山さんには一つ決めたことがある。

 「子どもたちと自分を感染させない、守るための行動が差別につながっていないか、一つ一つのことをしっかり考えてから行動しよう」と。いろいろな考え方、思いに子どもたちと触れていきたい。

◆人間関係より強固に―新潟青陵大学大学院教授・碓井真史氏

 長引く新型コロナウイルス感染下で、人々の心の余裕が失われつつある。新潟青陵大学大学院の碓井真史教授(61)=社会心理学=は「自分も差別をする人間であるという意識を持つことが必要」と訴える。

 差別・偏見には「排除」の気持ちが作用する。この1年、行政は感染対策として、県を越える移動の自粛などを盛んに呼び掛けた。それは「よそ者は来るな」と排除を「容認」する空気をつくったようにも映る。

 岡山県では昨年4月、高速道路のパーキングエリアでの検温実施を巡り、県知事が「まずいところに来てしまったなと(中略)後悔していただくようなことになればいい」と発言。

 碓井氏は、近畿圏からの人を排除しようとしたこの例を引き合いに出して「感染予防のつもりでも、後悔という言葉は正しくない。これを『偉い人』が言えば、人々の心の中にある差別や偏見の気持ちに火を付けてしまう」と指摘した。

 そうした中で、人々のつながりが壊れることを碓井氏は不安視する。「感染はいずれ収まる。でもその後、気付いたら隣の県とすごく仲が悪くなっていたり、会社内で社員がいがみ合うようになっていたりしたら危険だ」と言う。感染を収束させるだけでなく、この困難を乗り越え、「人間関係が『雨降って地固まる』。それが(新型ウイルスに)勝利するということだ」と強調した。