【2021/06/25】

 新型コロナウイルス感染症には「三つの顔」があるという。「病気」が「不安」を呼ぶ。そして、その不安が「差別」を生み、さらに差別が名乗り出ることをためらわせて病気の拡散につながる-。

 この感染症が国内で広がり始めた昨年2月、東京都港区の日本赤十字社本社。死者・行方不明者が22万人以上に上った2004年のスマトラ沖地震や、新潟県の中越、中越沖地震など国内外で医療活動の経験がある災害医療統括監の丸山嘉一さん(61)らは、既にこのウイルス禍がもたらす負の連鎖について強い危機感を抱いていた。翌3月には、「病気」「不安」「差別」というこの感染症の「三つの顔を知ろう」と呼び掛けるガイドを作り、インターネットに公開した。

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 制作を取り仕切った丸山さんの頭をよぎったのは、2014年に西アフリカでエボラ出血熱が流行した時の経験だった。当時、現地では日赤や各国赤十字社のメンバーが活動したが、感染を恐れる市民による感染者への差別が横行し、現地は混乱。治療に当たる医療者への攻撃も相次いだ。

 「エボラのことを思い出して、今の事態に生かせることがないかを考えよう」。丸山さんはそう呼び掛け、医師や臨床心理士ら10人によるチームで、新型ウイルスの一般向けガイドを約1カ月で練り上げた。

 未知の感染症に対する恐れが膨らみ、私たちの気持ちを不安にさせる「心の感染」について分かりやすく伝えることを、チームは重視した。「心が感染すると私たちがお互いに支え合う力が弱まってしまう」と考えたからだ。

 日本人は特に「たたり」という言葉が象徴するように、何か悪いことをしたからその人が感染症になったと思い込み、自己責任というレッテルを貼ってしまいがちだという。「病気を感染させる可能性があるという理由で、感染者が加害者扱いされる」ことを丸山さんは危ぐする。感染下の社会を覆う影はいまだに濃い。

 それでも丸山さんは、差別を少しでも減らせないかと模索する。「苦しい現実だが、私たちは新型ウイルスとともに生きている。『どうでもいいや』と諦めるのではなく、さまざまな不自由を受け入れた上で互いに寛容でいなければ」と語る。

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 希望はある。

 「三つの顔」のガイドは、これまでに県内の40以上の小中高校でも教材に使われた。

 今年1月、新潟市西蒲区の曽根小学校で行われた授業。講師を務めた日赤新潟県支部・事業局部長の谷田健吾さん(57)は約60人の6年生に「なんで差別や誹謗(ひぼう)中傷が起きると思う?」と問い掛けた。

 真剣な表情で考え込む子どもたち。谷田さんが「確証のない情報に引きずられないようにしよう」と語り掛けると、みんなが熱心にメモを取っていた。

 後日、谷田さんの元に児童の感想文が届いた。それを読んで、メッセージは届いていると思った。その一つにはこう記されていた。

 「本当にこわいのは『病気』ではなく『不安』だと思った。不安になると人を傷つけるようになるし、誰も信じられなくなる」

=おわり=

(この連載は長期企画取材班・中島陽平、上林陸来、写真は大須賀悠が担当しました)

◎取材を終えて 「自分だったら」想像を

 長期企画「明日の風は」では、暮らしに身近な場所を定点観測し、新型ウイルス禍による日常の変化をすくい取ってきた。本編「不安の断面」は、その締めくくりとして、人々の心の内側に目を凝らし、ぬくもりある社会の姿を探った。

 感染が間近に迫ってくれば、誰だって動揺する。不安から自分を守るための行動や言動に悪意はないとしても、結果的に「誰か」を傷付けることがある。感染対策として距離を取ることは正しいとしても、それが互いの心まで遠ざけることになってはいないか。人それぞれの「正義」がある中で「感染者探し」に違和感を覚えた女性の「何が正解か分からない」という言葉が象徴的だった。

 取材を通じ、相手に寄り添い、共感することが肝要だと、あらためて感じた。「自己責任」「あいつのせい」「おかしい」と反射的に突き放すのではなく、少し立ち止まって「自分が同じ立場なら」と想像してみる。感染症に限らず、いじめやハラスメント、貧困などの社会問題にも共通する普遍的な姿勢だと思う。

 そんなきれい事は通用しないと言われれば、それまでだし、実際そうかもしれない。でもそうした意識、気持ちを心に宿しておくだけでも、優しい社会に近づけると自分は信じている。

 新型ウイルスの感染拡大から1年余り。より対策が進んだ1年後の日常はどうなっているだろう。苦しい時を一緒に乗り越えたねと、肩を組んでたたえ合う未来を願っている。

(中島)