【2021/06/24】

 今、新型コロナウイルスが広がる社会には、苦しむ感染者や治療の前線に立つ医療従事者にまで、心ない言葉を投げ付けたり、差別的な視線を向けたりする人がいる。

 この1年余り、そんな話を耳にする度に、新潟市東区の水沢洋さん(76)は強い憤りを覚えてきた。

 「日本人の精神文化の脆弱(ぜいじゃく)性を感じる。いや、感じ続けている。水俣病が起きたときから、何も進歩していない」。水沢さんは四大公害の一つ新潟水俣病の被害者だ。自身の体験を重ね、嘆き、怒りをにじませる。

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 水俣病は熊本県で1956年、本県で65年に公式確認された。「公害の原点」と呼ばれるその歴史は、被害者にとって人権問題の歴史ともいえる。

 もう半世紀以上前になる。「一緒に歩いちゃ駄目だと、父ちゃん、母ちゃんが言っている」と吐き捨て、仲の良かった幼なじみたちは、水沢さんから逃げていった。10歳ごろに、手足のしびれといった水俣病特有の症状が現れた。水俣病はメチル水銀に汚染された魚介類を食べたことによる神経系疾患だが、原因が分かるまでは「たたり」「伝染病」といった誤解が生じた。

 水沢さんも周囲から気味悪がられ、孤立した。しびれのせいでうまく歩けず、学校に遅刻すると、先生から「怠け病」とののしられた。悩み、自ら命を絶とうとしたこともあった。強烈な差別と偏見にさらされた記憶。「人間として誇れる日はなかった」

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 健康被害だけでなく、「心の痛み」が合わさる。水沢さんは新型ウイルスに、水俣病と似た気配を感じながら、感染下の状況を深刻に受け止めている。

 新潟水俣病は阿賀野川流域に被害が集中しているが、ウイルスは世界規模。誹謗(ひぼう)中傷の「ターゲット」も多く、インターネットの普及により、拡散される範囲や速度は半世紀前とは桁違いだ。「昔は悪口を言う人たちの姿が見えたが、ネットだと見えない。だから好き勝手できる。非常に陰湿だ」

 差別は許されない。しかし、差別を意識し過ぎることで萎縮してしまう人もいる。水俣病の症状や原因を自覚していても、周囲の目や家族に迷惑が掛かるかもと不安を感じ、言い出せない被害者は少なくない。

 水沢さんは現在、新潟市北区の県立環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)で語り部を務め、小中学生らに半生を話している。活動を通じて、「差別や偏見を恐れ、社会の片隅でひっそりと命の火をともしている人を探し当てたい」という。

 昔、主治医から「失望という病はない」と励まされ、前を向いて生きることの大切さをかみしめた。新潟水俣病の被害者として、未来を担う子どもたちに「誹謗中傷、差別・偏見は人の命を奪いかねないことを伝えたい。人権の尊さ、命の尊さを知ってもらいたい」。それは感染下に向けた思い、願いでもある。