
1914年の大正大博覧会でカステラを製造する様子
菓子職人だった中川安五郎が1900年、長崎市丸山町に「文明堂」の看板を掲げたカステラ店を出したのが始まり。創業間もない1904年に始まった日露戦争の影響で原料調達が困難になるが、唯一手に入った水あめを使った新商品を考案して乗り切った。(共同通信=浜谷栄彦記者)
1914年に東京で開かれた「大正大博覧会」に長崎県の推薦を受けてカステラを出品。創業者自ら文明堂の文字が入った赤い帽子をかぶり、人々の注目を集める。会場内に置いた販売所は黒山の人だかりとなった。
博覧会の成功で文明堂の名が全国に知られる。安五郎は巧みな宣伝で売り上げをさらに伸ばし、店舗を拡大。1945年の原爆投下で長崎は焼け野原となる...
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