1995年10月、米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた沖縄県民総決起大会であいさつする大田昌秀知事=沖縄県宜野湾市
 1995年10月、米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた沖縄県民総決起大会であいさつする大田昌秀知事=沖縄県宜野湾市
 米兵による少女暴行事件の発生当時、沖縄県の基地対策室長だった粟国正昭さん
 1996年1月、米軍基地問題を巡る初会談に臨む橋本首相(右)と大田昌秀沖縄県知事=首相官邸
 沖縄県、那覇、名護市辺野古、普天間飛行場

 30年前、米兵による少女暴行事件に県民は怒り、抗議の声を上げた。それでも米軍に特権を許す日米地位協定の改定には至らず、沖縄と日米両政府にとって米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還合意が「妥協点」となった。返還にはなお時間を要し、米兵の性犯罪も根絶されない。県民が日本復帰時に願った「基地のない平和な島」の実現は遠い。

 ▽署名拒否

 1995年9月4日の事件発生からほどない日の朝、沖縄県庁。当時の粟国正昭基地対策室長は知事公室長と並び、大田昌秀知事に事件を伝えた。思い出したのは、55年に米兵が6歳の女児を殺害し遺棄した「由美子ちゃん事件」。粟国氏は「知事は驚いたと同時に、屈辱感がよみがえった様...

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