
正岡子規(松山市立子規記念博物館提供)
明治を代表する文豪夏目漱石と俳人正岡子規が同居し、近代文学革新のきっかけになった場所が松山市にあった。その名は「愚陀仏庵」。市の学芸員は「近代文学を象徴し、親友だった2人が密度の濃い時間を過ごした貴重な場所」と語り、同居から130年後の令和に市による再建計画が進められている。
2人は東京の第一高等中学の同級生で、寄席好きがきっかけで親交を深め、才能を認め合う仲だった。漱石は代表作「坊っちゃん」でも知られるように、愛媛県尋常中の教員として1895年に赴任。その後に転居した松山市中心部の下宿が、自身の俳号にちなみ愚陀仏庵と呼ばれるようになる。
日清戦争の従軍記者だった子規は、帰国途中に喀血、静養...
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