【2021/05/29】

 2000年代初頭、上越市の商業施設の2階にライブハウスがあった。人気バンドが来れば、観客が飛び跳ねるたびに「床が沈んだ」という。そんな状況もあってか05年に閉店。だが、関係者から後継店舗の話は出なかった。業を煮やした地元の女性アルバイト1人が声を発した。「私やるわ」

 ライブハウス「上越EARTH(アース)」のオーナー、渡邉香織さん(45)が29歳の頃の話だ。「何の当てもお金もないのに、場所さえあればいいんでしょって」。自分のことより、拠点を失う地元のバンドマンたちのことが頭にあった。

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 小さい頃、人気絶頂時に解散した伝説的バンド「BOOWY(ボウイ)」のCDを聞き、衝撃を受けた。学生時代はビジュアル系バンドに熱中し、社会人になると毎週のように新潟市や県外のライブに通った。体調を崩して退職した後、心はバイト募集中のライブハウスに向かっていた。

 自由なライブハウスが好きだった。1人で行っても楽しみ方や格好を人に合わせる必要はない。日常で嫌なことがあっても、その日のために頑張れる。好きなものだけを追い求められる場所だった。

 EARTH開業の道のりは楽ではなかった。物件探しから、資金集め、許可関係の手続きまで初めてのことだらけだった。工事費を浮かせるため、壁板張りなどは地元のバンドメンバーも協力して自分たちで作業した。ライブハウスができると聞きつけた人や高校生も手伝ってくれた。

 追い込みの時期の睡眠は1日3時間。機材の配線や照明が整ったのは05年9月のオープン初日の朝方だった。「何とか音が出たね」。それだけで良かった。

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 あれから16年。新型コロナウイルスの感染拡大で昨年4月から休業が続き、EARTHから音が消えた。「こんな日々を過ごすためにここを作ったわけじゃないんだけどな」と思った。

 営業再開後はステージ前のアクリル板や来場者のマスク着用、立ち位置といった制約をかけている。自由な場所のはずなのに、自由を奪っていることが心苦しい。以前はほぼ毎週あったライブはまだ減ったままだ。経営が厳しさを増し、店を閉めることも考えた。

 ただ、向かい風ばかりではなかった。音楽業界でライブハウスを支援する動きが広がり、県内でもチャリティーTシャツの販売などが行われた。地元バンドがEARTHで販売するグッズを提供したり、青春時代をここで過ごしたという人が店のグッズを買ってくれたりした。

 「ちゃんとみんなの人生の中にあったんだ」。バンドマンたちが帰って来られる場所をなくしたくない。応援してくれる人の気持ちに応えたくて、今は前を向いている。

 先月の終わり、弾き語りライブで地元の男子高校生(17)がEARTHでの初ステージを踏んだ。進路は決めていない。でも「音楽で行けるところまで行きたい」と思いは熱い。

 EARTHは、そんな若者たちの姿を見守ってきた。そして、これからも。音楽は響く。

=おわり=

(この連載は長期企画取材班・栗原淳司、写真は永井隆司、金子悟が担当しました)

◆収容人数などの制約
宣言対象かどうかで違い

 新型コロナウイルスの感染拡大で苦境に立たされているライブハウス。緊急事態宣言の対象地域かどうかで「制約」は違っている。

 昨年4月に発出された初の緊急事態宣言では、全国のライブハウスに対して休業要請が出された。解除後、本県ではライブハウスなどでのイベントの開催条件として「定員の50%以内」か「十分な人と人との間隔(1メートル)」を求めている。

 緊急事態宣言は、営業時間の短縮要請があった2度目(今年1~3月)を経て、4月には3度目が東京都などで始まった。

 都の場合は、酒類の提供の有無や床面積などに応じて、休業要請や営業時間の短縮要請、休業の協力依頼と対応が分けられている。

 また、プロスポーツやコンサートなどの収容人数を定めた催し物の開催制限の分類では、ライブハウスでのイベントは「大声あり」の催事とされる。