2025年4月26日、バチカンのサンピエトロ大聖堂で会談するトランプ米大統領(左)とウクライナのゼレンスキー大統領(ウクライナ大統領府提供・ゲッティ=共同)
 2025年4月26日、バチカンのサンピエトロ大聖堂で会談するトランプ米大統領(左)とウクライナのゼレンスキー大統領(ウクライナ大統領府提供・ゲッティ=共同)
 6月4日、モスクワ郊外で閣僚らとのテレビ会議を主催するプーチン大統領(AP=共同)
 5月10日、ウクライナの首都キーウで、英仏独首脳らと共同記者会見するゼレンスキー大統領(左から3人目・共同)
 6月2日、ロシア軍に向けてりゅう弾砲を発射するウクライナ兵士=ウクライナ・ハルキウ州(ウクライナ軍提供・ロイター=共同)
 6月4日、ロシア・ムルマンスク州のオレニヤ航空基地で無人機攻撃によって破壊された長距離戦略爆撃機ツポレフ95の衛星写真(マクサー・テクノロジーズ提供、ロイター=共同)
 5月16日、ウクライナの首都キーウの飲食店で、3年ぶりに開かれたロシア代表団との直接交渉を伝えるテレビ画面(共同)
 ドミトリー・トレーニン氏

 ウクライナ戦争の開始時点から、米国は最重要の参加者だった。戦争の根本原因は、ロシアの国境近くまで北大西洋条約機構(NATO)を拡大させるという考えだ。

 バイデン前米政権は、ウクライナを「プーチンのロシア」など独裁主義との戦いの場とみなし、戦争で「ロシアを戦略的に敗北させる」ことを目指した。だが、その目的は達成されなかった。

 トランプ米大統領は、バイデン氏の遺産を引き継がないと決意し、ウクライナから手を引く方針に転じた。戦争に勝算はなく、自らに利益をもたらさない。政策転換は、論理的帰結だった。

 だが事態は複雑だ。ウクライナは2004年の「オレンジ革命」以来、米欧の支援に依存し、米欧側はウクライ...

残り1685文字(全文:1985文字)