柳本飛行場の説明板は撤去され、現在は支柱だけがむき出しの状態で残されている=2025年1月
 柳本飛行場の説明板は撤去され、現在は支柱だけがむき出しの状態で残されている=2025年1月
 「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」によるフィールドワークの様子。高野眞幸さんが残された支柱の前で経緯を説明した=2025年1月
 「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」が新たに設置した説明板=2025年1月
 1995年に天理市と市教育委員会が設置した柳本飛行場に関する説明板=撮影日時不明(天理市教育委員会提供)

 奈良県天理市の田園地帯に、太平洋戦争末期、本土決戦に備えて飛行場が建設された。「大和海軍航空隊大和基地」、通称・柳本飛行場だ。その跡地の一角にある市の公園には現在、金属製の柱だけが、風にさらされている。歴史を伝える説明板が撤去された跡だ。

 かつて説明板には、飛行場建設工事や、近くにあった慰安所に朝鮮人が強制動員されたことが証言と共に解説されていた。天理市は、自ら立てた説明板を19年後の2014年に撤去した。当時、ここで何があったのか。(共同通信=奥林優貴)

 ▽「天皇をお迎えする計画」

 戦後の1976年刊行の「改訂天理市史」によると、柳本飛行場の建設が始まったのは、1944年9月ごろだった。敷...

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