元広島原爆資料館長の原田浩さん
元広島原爆資料館長の原田浩さん
6歳当時の原田浩さん(本人提供)
1945年8月、広島駅構内で復旧作業を進める人たち。ホームの屋根は爆風で損傷し、波打っている。
元広島原爆資料館長の原田浩さん
1993年4月、広島の原爆資料館を視察するスミソニアン航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長(左から2人目)。右端は原爆資料館長だった原田浩さん
1995年6月、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で展示された広島原爆の投下機エノラ・ゲイ
米ニューヨークに掲示された映画「オッペンハイマー」の広告=2023年7月

 広島平和記念資料館(原爆資料館)の元館長原田浩さん(85)は、6歳の時、爆心地から約1.9キロの広島駅で被爆した。熱線で焼けただれ、路上に倒れた人の体を踏んだ足の裏の感触、生きたまま焼かれる人の姿。本当は思い出したくない体験を、核兵器廃絶のため伝えてきた。

 被爆50年には館長として、米国で企画された原爆資料の展示に関わった。立ちふさがったのは、原爆投下を正当化する米国世論の「壁」。被爆資料の展示は中止となった。それから30年。米国の原爆観は変わったのか。被爆80年を前に、思いを語ってもらった。(共同通信・玉井晃平)

▽疎開のため広島駅へ

1945年当時は6歳で、広島駅から歩いて10分ほどの段原(...

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