元広島原爆資料館長の原田浩さん
 元広島原爆資料館長の原田浩さん
 広島市の原爆資料館を訪問された上皇ご夫妻(当時天皇、皇后両陛下)に展示を説明する原田浩さん(右)=1995年5月(原田さん提供)
 広島市の原爆資料館を訪問された天皇、皇后両陛下(当時皇太子夫妻)に展示を説明する原田浩さん(手前左)=1996年10月(原田さん提供)
 広島市の原爆資料館を訪問したドイツのワイツゼッカー元大統領に展示を説明する原田浩さん(手前右)=1995年8月(原田さん提供)
 中学生らの遺品の服を並べた広島市の原爆資料館の展示
 原爆資料館本館で展示されていた被爆当時の悲惨な状況を再現した人形=2017年4月
 広島県被団協の会合で発言する原田浩さん=2月
 現在の広島駅。新駅ビルがオープンし、路面電車の2階部分乗り入れへ工事が続く=4月
 1945年8月の広島駅。鉄筋コンクリートの建物は焼けただれ、天井は爆風で崩落した

 6歳の時に被爆した広島平和記念資料館(原爆資料館)の元館長原田浩さん(85)。原爆投下から半世紀となった1995年には、国内外の多くの要人を案内した。当時の天皇、皇后両陛下をはじめ、3世代にわたる皇室の広島訪問には感銘を受けたという。

 被爆80年が近づき、被爆者の声を直接聞く機会が減っている。悲惨な体験を伝えるため、原爆資料館の展示はどうあるべきか。後継者をどうつないでいくのか。証言活動を続ける立場から語ってもらった。(共同通信・玉井晃平)

▽恐ろしいほど視線外さず

 広島でアジア大会が開かれた1994年と被爆から半世紀の1995年は、国内外の多くの人が資料館を訪問した。館長として、約150カ国...

残り2744文字(全文:3044文字)