ウクライナ・パラリンピック委員会のワレリー・スシケビッチ会長。30年近く会長を務め、ウクライナをパラ強豪国に育て上げた=2025年4月、キーウ(撮影・深井洋平、共同)
 ウクライナ・パラリンピック委員会のワレリー・スシケビッチ会長。30年近く会長を務め、ウクライナをパラ強豪国に育て上げた=2025年4月、キーウ(撮影・深井洋平、共同)
 ウクライナ中部ポルタワで視覚障害者向けの競技ゴールボールのチームの監督を務めるフョードル・ドゥブロビンさん(中央)。チームはパリ・パラリンピックで銀メダルを獲得した=2025年3月(撮影・深井洋平、共同)
 ウクライナ・キーウ、ポルタワ、ドニプロ川、オデーサ

 1996年8月24日、パラリンピックでウクライナが初の金メダルを手にした。ソ連から独立して5年。「8月24日は、独立記念日でもあった。表彰式で国歌が流れ、ウクライナの存在を世界に知らしめる瞬間になるはずだった」。ワレリー・スシケビッチ(71)は、表彰式を待つ間の嫌な予感を今も忘れられない。

 その予感は的中した。

 表彰式で、ウクライナ国歌は流れなかった。車いすのスシケビッチは、国歌を録音したカセットテープを手に大会委員に詰め寄った。「屈辱的だった。『ソ連でもロシアでもない。われわれはウクライナの代表だ』と伝えたんだ」と回想する。

 「世界に知られていない国で、死を待つだけの人生が嫌だった」。30...

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