
携帯電話に保存した、17歳で亡くなった兄の写真を示すミレラ・オスマノビッチさん=6月、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部スレブレニツァ近郊(共同)
旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナで続いた凄惨な民族紛争末期の1995年、東部スレブレニツァでボスニャクと呼ばれるイスラム教徒の住民ら8千人以上がセルビア人勢力に虐殺された事件から30年。生き延びた人々の心の傷は深く、紛争後生まれの女性は悲劇の記憶継承を誓う。セルビア側には残虐性が強調される現状への反発が残り、民族の和解は遠い。
ボスニャクとセルビア人、クロアチア人の3民族で繰り広げられた紛争の中で起きた事件は、第2次大戦後の欧州で最悪の大量虐殺と呼ばれ、国連が設置した法廷でジェノサイド(集団殺害)と認定された。
日本は長年、紛争後のボスニアの復興支援に取り組んできた。相木俊宏・駐ボ...
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