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新潟と戦争

日露戦争で新潟長岡市から出征、兵士が残した100通の思い…地元コミセンで手紙発見 壮行会や物資への感謝…解読進める市民サークル「地域の財産」
「すごく少年ぽい」「クリエーターとして心から尊敬」 新潟・長岡花火の礎築いた花火師・嘉瀬誠次さんが死去 魅力的な人柄と功績…関係者から感謝の言葉続々と
「誇り与えてくれた」「嘉瀬さんの三尺玉は特別」新潟・長岡花火の育ての親、花火師・嘉瀬誠次さん死去 関係者ら感謝と追悼
旧日本軍の真珠湾攻撃から82年、新潟長岡市の磯田達伸市長がハワイで追悼式典に参列 指揮官・山本五十六の故郷から「平和願う市民の思い発信したい」
日米開戦82年、慰霊と平和の願い込め 新潟長岡市で花火「白菊」打ち上げ
新潟上越市とオーストラリア・カウラ市、戦禍越えた絆を確認 在日大使館の参事官が講演、日豪関係は「アジアで最も緊密で成熟」
旧ソ連によってキルギスに抑留…新潟新発田市の故・宮野泰さん宅をキルギス駐日大使が訪問 集めた資料を大使館が借り受け展示コーナー設置
旧ソ連の抑留で死亡した9人の身元を特定、新潟県出身は1人 シベリア・モンゴル地域
村松で学び、重責担った若い命悼む 新潟五泉市で少年通信兵学校卒業生の慰霊祭
旧ソ連の抑留で死亡した13人の身元特定、新潟県出身は1人 シベリア・モンゴル地域
旧ソ連の抑留で死亡した12人の身元を特定、新潟県出身は2人 シベリア・モンゴル地域で
連載[戦後78年・記録でたどる戦争]<番外編・下>緊迫の戦地、新潟からの便りが「唯一の楽しみ」 妻に宛て軍艦で書いたラブレター、満州から送ったはがき
連載[戦後78年・記録でたどる戦争]<番外編・上>20歳で共に出征、死を覚悟して酒を分け合った夜…戦友の手紙で知った父の「戦中」・新潟長岡市の男性
[新潟・戦後78年]ソ連兵に突き付けられた銃剣の感触「今でも忘れない」 満州へ渡った酒井和美さん(91)=新潟五泉市= 父を失い、憧れの大地が一変 ロシアの侵攻に重なる記憶、平和願い涙
[解説・長岡空襲とは]米軍、爆撃目標の都市をリスト化-新潟市は32番目、長岡市は73番目に記載 大都市から中小都市へ標的拡大
連載[戦後78年・記録でたどる戦争]<6>焼夷弾の雨が襲った長岡空襲 「いたるところがれきの山、悲惨の極み」 与板町(現新潟長岡市)で暮らした男性が80歳から記した回想録
連載[戦後78年・記録でたどる戦争]<5>「児童と居る時が一番の楽しみ」台湾で日本語教育に心血、植民地支配超えた絆 新潟三条市出身の男性がつづった日記
連載[戦後78年・記録でたどる戦争]<4>「兵隊さん、さあお夕食を」物資不足の中、兵士を元気づけようとした少女たちの思い 長岡高等女学校(新潟・現長岡大手高校)の慰問帳
語り継ぐ原爆の記憶、動き出す若者たち 広島市で20代ガイドが活躍「自分事として感じて」 新潟県内旅行社も修学旅行プラン
白黒写真をAIなど活用してカラー化、展示する動き広がる 新潟長岡市の「長岡空襲」関連でも彩色・東京大学の渡邉英徳教授