神奈川・法政二高時代の柴田勲さん。エースとして1960年夏、61年春の甲子園大会連覇の立役者になった=61年8月撮影
神奈川・法政二高時代の柴田勲さん。エースとして1960年夏、61年春の甲子園大会連覇の立役者になった=61年8月撮影
打者転向1年目の柴田勲さん。43盗塁をマークし、巨人のリーグ優勝と日本一に貢献した=1963年2月撮影
1966年10月、日本シリーズの最高殊勲選手に選ばれ、声援に応える柴田勲さん=後楽園
1970年1月、長嶋茂雄さんの自主トレーニングの相手をする柴田勲さん=静岡県の伊豆・大仁温泉
1977年5月の大洋戦で柴田勲さんはプロ野球3人目となる500盗塁を達成=後楽園
インタビューに答える柴田勲さん=2023年7月撮影
1968年7月のオールスター第2戦で殊勲選手となり、笑顔を浮かべる柴田勲さん=後楽園

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらった連続インタビューの蔵出し企画「名球会よもやま話」。第52回は巨人の9年連続日本一に貢献した、盗塁王6度の柴田勲さんが2度目のご登場です。元祖スイッチヒッターの誕生秘話や、当時の川上哲治監督が採り入れた「ドジャース戦法」について語ってくれました。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽甲子園優勝投手の入団勧誘で耳にした意外な口説き文句

 僕は法政二高を卒業してプロ1年目のキャンプに、学校の関係で1週間ぐらい遅れて入ったんです。ちょっと肩も痛かったから、あんまり練習してなかった。キャンプに行って1週間か10日ぐらいしてかな。やっと捕手に座ってもらっ...

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