旧機那サフラン酒製造本舗(左)と鏝絵蔵=長岡市摂田屋4

 極彩色の「鏝絵(こてえ)」を施した豪勢な蔵が目を引く「旧機那(きな)サフラン酒製造本舗」(新潟県長岡市摂田屋4)。ここは、薬用酒「サフラン酒」で財をなした吉澤仁太郎(にたろう)(1863〜1941年)の旧邸宅。店舗と製造所も兼ねていた。屋敷や蔵、庭園など、仁太郎が築いた建造物群は極めて独創的で、それが人を引き付ける。保全に長年取り組むボランティアガイドの案内で「唯一無二の仁太郎ワールド」をのぞいてみた。

石灯籠、犬の足跡、通気口…市民グループが語る「推しスポット」

「機那サフラン酒製造本舗」保存の会

 吉澤仁太郎のサフラン酒は「養命酒」と人気を二分するほど売れに売れ、昭和初期にはハワイまで進出。仁太郎は事業で得た資金を投入し、次々と個性的な建物を建て、庭を整えた。約9千平方メートルの旧本舗の敷地内には、明治から昭和初期にかけて築造した鏝絵蔵、主屋、衣装蔵、離れ座敷など10棟のほか、石垣、庭園が残る。

 その魅力を伝えようと、休日のガイドを務めるのが市民グループ「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」のメンバーだ。20人ほどが登録している。

 サフラン酒本舗といえば鏝絵蔵が有名だ。普通なら建物の一部に施す漆喰(しっくい)装飾の鏝絵を土蔵の全体に展開した「見せるための蔵」。屋敷の正面に位置し、仁太郎の館を象徴する鏝絵蔵は2006年、歴史的建造物が数多く残る摂田屋地区で初めて国の登録有形文化財に指定された。

吉澤仁太郎のエピソードを交え、建物の来歴や見どころを解説するガイド=長岡市摂田屋4
鏝絵蔵に装飾されている鏝絵。さまざまな動物が立体的に描かれている

 ただ、魅力は鏝絵だけにはとどまらない。庭園の草取りや屋敷内の片付け、清掃など、15年前からサフラン酒本舗の保全活動に携わってきたメンバーだからこそ語れる「推し」がある。

 本舗の屋敷で生まれ育った男性(67)は、先祖の仁太郎が自ら手がけたと伝わる庭の石灯籠を薦める。自然石を組み合わせ、仕立てた灯籠は、ぽってりとした形でユーモラスな雰囲気。「変わった形で面白いでしょ。こだわりの庭園にも目を向けて楽しんでもらえたら」と話す。

吉澤仁太郎作と伝わる石灯籠は庭に大小10基ほどある

 足元にも見どころがある。メンバーの男性(68)が教えてくれたのは、土間に残る犬の足跡にまつわるエピソード。1926(大正15)年に完成した鏝絵蔵と既存の主屋をつなぐ土間の工事中に飼い犬が入り込み、足跡が付いてしまったという。

 凝りに凝った建築に熱中する仁太郎のこと、即やり直しを命じたかと思いきや、「仁太郎さんが面白がって、あえてそのまま足跡を残したそうです」。

土間に残る犬の足跡。吉澤仁太郎が飼っていた犬のものらしい

 メンバーの男性(57)のお薦めは、衣装蔵の土台に造られた通気口だ。石材にサフラン酒の瓶をかたどった立体的なデザインが施されている。瓶の意匠は引き手を兼ねており、石をスライドさせて通気口を開閉する。時には実演してみせることも。うまく動かすには、こつがあるそうだ。

衣装蔵の通気口は、サフラン酒の瓶をかたどったデザインだ

 土日祝日は鏝絵蔵に入ることもできる。2階は資料室で、大正時代の新聞広告や当時の宣伝資材、薬用酒製造に使った道具などを展示している。

◆「機先を制する者は過半を制す」で事業拡大…吉澤仁太郎の生い立ち

 機那サフラン酒製造本舗の創業者・吉澤仁太郎は江戸末期の1863年、摂田屋の隣村に農家の次男として生まれた。21歳で家伝の薬酒を竹筒に入れて売り出した。

 販路開拓に赴いた旅先の宿で急に体調を崩したふりをし、宿の人に頼んで買ってきてもらった機那サフラン酒を一口飲んで、すっかり元気に-。こんな一芝居を打ち、普及を図ったという伝説が残る。

昭和初期に離れ座敷の前で撮影した吉澤仁太郎(前列左から2人目)と家族の記念写真

 31歳で摂田屋に移り、店舗と製造所を構えた。「機先を制する者は過半を制す」を信条として事業を拡大する一方で、...

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