
「機動隊と衝突した後に畑に行くと、サツマイモの葉が踏みにじられ、つるだけになっていました」。砂川闘争当時の様子を話す福島京子=東京都立川市
「砂川闘争」で農民たちは国民主権を掲げて立ち上がり、米軍立川基地の拡張計画を阻止した。根底にあったのは、過去の土地収奪や原水爆への怒りだ。沖縄をはじめ各地で続く基地問題に、闘争の成果はどこまで生かせているだろうか。(敬称略、文は共同通信編集委員・内田恭司、写真は同・堀誠)
▽国民主権の下で
「原爆を積んだ爆撃機がここから飛び立つのは恐ろしいことだと思っていました」。東京都立川市の砂川に今も住む福島京子(75)は、70年も前の記憶をたどった。
終戦から10年後の1955年5月、政府は米軍立川基地の滑走路延長計画を隣接する砂川町(現・立川市)に通告した。朝鮮戦争は休戦したものの、冷戦の激化で東アジ...
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