少雪の中、一本杖スキーを披露するレルヒの会のメンバー=2月2日、上越市大貫
少雪の中、一本杖スキーを披露するレルヒの会のメンバー=2月2日、上越市大貫

 日本スキー発祥の地、新潟県上越市の金谷山スキー場で2月1、2の両日、レルヒ祭が開かれた。テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐(1869〜1945年)を顕彰し発祥の地をPRする冬の恒例行事だが、少雪で名物のたいまつ滑降などは中止になった。雪が少なく関係者はがっかり-と思いきや、「少雪対策で始めたイベントなので」と意に介さない。むしろ「レルヒさんへの思いは雪よりもはるかに深い」と強調し、創意と工夫で楽しんでいた。

 オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人だったレルヒ少佐は1911(明治44)年1月12日、日本で初めてスキーを上越市で指導した。金谷山には現在ファミリー層向けのスキー場があり、少佐の像が立つ。

 レルヒ祭は没後50年の1995年に金谷山で始まった。レルヒが伝えたスキー滑走法「一本杖(づえ)スキー術」が披露され、オーストリア出身の名スキーヤー、トニー・ザイラーさんをゲストに招待。青空の下、約7500人が参加したと当時の新潟日報は伝えている。

 レルヒ祭が始まる前年までは、競技スキーを主体とする市民スキー祭が行われてきた。しかし、少雪や市民の競技スキー離れで94年が最後となった。上越市の市民団体「レルヒの会」で一本杖スキー研究委員長を務める増田さちえさんは「元々雪がなくても開催できるように競技大会からお祭りに形を変えた。楽しみながらレルヒさんの名前を知ってもらう機会だと思って、年によって柔軟に内容を変えている」と話す。

 2025年はレルヒ没後80年でレルヒ祭開始30年の節目の年だが、少雪の影響を受けた。金谷山スキー場は...

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