
生活習慣などに関する質問を通して新潟水俣病の被害者と談笑する新潟医療福祉大の学生=阿賀野市の安田交流センター
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から今年で60年。被害者の高齢化が進む中、医療・介護分野の人材を育成する新潟医療福祉大(新潟市北区)では授業を通し、被害者との交流を続けている。開始から15年がたち、学生らは蓄積した体験談の聞き取りデータを発信する準備を進めるなど、後世に残す取り組みを進めている。
同大は2010年度から、...
残り604文字(全文:760文字)