中越沖地震での避難所までの道のりを歩く小川孝幸さん=柏崎市三和町
中越沖地震での避難所までの道のりを歩く小川孝幸さん=柏崎市三和町

 2007年の中越沖地震2007年7月16日、新潟県の上中越沖を震源として発生した地震。新潟県内では柏崎刈羽原発が立地する柏崎市と刈羽村のほか、長岡市で震度6強、上越市や小千谷市、出雲崎町で震度6弱を観測した。新潟県によると、この地震の影響で15人が亡くなり、2316人が重軽傷を負った。住家の被害は、全壊が1331棟、大規模半壊、半壊が5710棟、一部損壊が3万7277棟。から、16日で18年となった。視覚障害がある柏崎市三和町の小川孝幸さん(62)は、避難した時の苦労を今も覚えている。当時69歳の母と水をもらいに避難所へ向かったが、道路は陥没し、被災状況を把握できなかった。わずか400メートルだが、強い不安を感じた。小川さんに当時の避難所までの道を一緒に歩いてもらい、視覚障害者が直面する避難の難しさについて思いを巡らせた。(柏崎総局・笠原萌志)

 「目が見えないから、道路がどうなっているか分からない。知らない土地に放り出された気分だった」。小川さんは18年前の避難所までの経路をたどり、当時を振り返った。

 地震で自宅が断水し、飲み水をもらいに避難所が開設されたワークプラザ柏崎(柏崎市田塚3)に向かった。母親の肩を借り、白杖(はくじょう)を使い、道路に異変がないかを確認しながらゆっくり歩いた。

 「自宅敷地内のコンクリートには、縦...

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