政治の力への期待を込めて、新潟県内各地域の実情や住民の思いを伝える衆院選連載「知ってほしい」。今回のテーマは「木工のまち」です。
田上町田上に工場を構える「桐の蔵」。職人がかんなをかけ、たんすを組み立てる音がこだまする。加茂の桐たんすを生産する加茂市と田上町などは、全国の桐たんす生産量の7割を占める「木工のまち」だ。
「かつては桐板を干している光景があちこちで見られた」。3代目社長で加茂箪笥(たんす)協同組合理事長の桑原隆さん(53)は語る。現在、組合に加盟するたんすメーカーは18社、非加盟を含めても30社ほど。生活様式の変化などによる需要減により30年前の半分程度になった。
そんな状況で新型コロナウイルス感染拡大が顧客との関係に壁を築いている。
同社は毎年、首都圏や関西で1年に10回以上、展示会を開いてきたが、昨年3月を最後に開けていない。リモートでも案内しているが、新品の注文は2割減った。巣ごもりの影響か修理の注文は増えているが、新品同様の手間がかかる割に利益は少なく、カバーしきれていない。桑原さんは「お客とのやりとりが限られてしまい、つらい」と話す。
桑原さんが家業を継ぐため1988年に入社した当時は、東京の百貨店の卸問屋からの注文が絶えず、黙っていても売れた。しかし、住宅の洋風化や婚礼たんす・着物文化の衰退により、百貨店からの注文は減少。嫁入り道具の風習が残っていた名古屋や北陸の家具小売店に販路を求めたが、百貨店を後追いするかのように注文は減った。
99年、社長に就任後、他社に先駆けて直販にかじを切った。工場内にショールームを設け、ホームページを開設。東京や関西などで展示会を開き、客と直接会ってたんすを販売した。古いたんすの修理・リメークにも目を付け、客とつながり信頼を得ることで、生き残ってきた。だからこそ「直接会い、たんすを見てもらって魅力を伝えられないのは厳しい」とこぼす。
さらに、桑原さんが危惧するのは後継者不足だ。1、2人のメーカーが多く、80代の職人もいる。「この代で終わりだから」という空気が業界全体に感じられるという。自社も後継者はおらず、「どこも余裕がなく後継ぎを育成できない。技術を継承していけるだろうか」と不安を抱く。
それでも「伝統的な本物のたんすを求めている人は全国にいる」と桑原さんは語る。また、モダンなデザインを取り入れたたんすに加え、4、5年前からはコーヒーキャニスターや弁当箱など桐の特長を生かした小物を開発するメーカーが増えてきた。「たんすが売れれば一番だが、右肩上がりになることはもうない。うちはたんすの再生。各社が得意な分野を生かし、個性を打ち出して、業界全体で生き残る道を見つけられれば」と願っている。
国に対しては「伝統工芸品はパイが小さく、隅っこに追いやられるような業界。われわれを忘れずに、目を向けてほしい」と訴えた。
(三条総局・佐藤雄太)
◎職人版地域協力隊を
桑原隆さんの話 桐たんすの伝統技術を継承できる制度を望む。例えば、職人版の地域おこし協力隊。ものづくりに興味がある人が工場で修業し、国が報酬費などを負担する。マッチングがうまくいけばメーカーは助かるし、地方への移住定住にもつながるのではないか。