不妊治療や双子の子育てについて語る高橋なんぐさん
不妊治療や双子の子育てについて語る高橋なんぐさん

 新潟お笑い集団NAMARAの高橋なんぐ1981年、新潟県長岡市生まれ。15歳で吉本興業主催の「全国お笑いコンテストin東京ドーム」優勝。新潟お笑い集団NAMARA所属。全国1700以上の小中学校などを訪ね、いじめ・人権やSNSなどをテーマにした「お笑い授業」を展開。BSNラジオ「高橋なんぐの金曜天国」(毎週金曜午前9時〜12時30分)出演。著書にエッセー「米十俵 高橋なんぐのお笑い授業」。さん(41)=新潟県長岡市出身=に2022年8月末、女の子が生まれた。結婚9年目で授かった待望の赤ちゃん。しかも双子。これまで夫婦で取り組んできた妊活や不妊治療、出産の喜び、てんやわんやの子育てについて、語ってもらった。(聞き手はデジタル・グラフィックスセンター 小熊隆也)

-2014年、ダンス指導者の未来(みき)さん(39)と結婚。子づくりについて、どんな話し合いを?

 2人とも仕事を優先していて、落ち着いてからと話していました。いずれは欲しいよね、という感覚。でも2019年、私が脳の病気で生死をさまよって…。手術後、明日のことは分からないなって思った。その年の7月に妻はダンススクールを立ち上げて独立。お互い人生の「節目」を迎え、優先順位を変えようと決めました。

 でも、いざ子づくりを始めても、全然授からない。子どもはいつでもできるだろうと、たかをくくっていたんですね。お互いが「自分に原因があるのでは」と疑い始めていました。

▽子を求める気持ち、どんどん強く

-当時の心境は。

 子どもを求める気持ちが、どんどん強くなった。お互いの両親に早く孫を抱っこさせてあげたいという思いも、自分たちを焦らせていました。

 仕事先などで何度も「子どもはまだなの?」と聞かれて。「つくり方、教えてやろうか」と言われると、芸人だから「ぜひぜひ!」って明るいノリで答えていました。同じ事を聞かれて妻は傷ついていましたね。

 正直、子どもを授からないことを何度も想像しました。できなかったら、2人で愛情を注ぎ合おうと話した。私は「お笑い授業」で全国各地の小中学校を回っているし、妻のダンススクールにも子どもたちが通っていて、その子たち一人一人を我が子のように思えば、「子育てさせてもらっている」という気持ちになると。そう2人で話していました。

-妊娠に向けた取り組みは。

 私は精液の検査を2回しました。量や精子の濃度、運動率など。自分で採取するため、クリニックの個室に入ると、院長さんの趣味?のDVDや雑誌があって、自分の趣味じゃないなと思いながら(笑)。精子に問題はなくて、妻にも問題はなかったんです。ホッとしたのと同時に、じゃあどうすればいいんだろうと。原因が分からず、不安は消えませんでした。

なんぐさんの精子濃度や運動率の検査結果

▽肉体的、精神的、金銭的に負担大きく

-不妊治療について教えて下さい。

 医師に相談して、まずはタイミング法(検査で排卵日を予測して性交する)にチャレンジしました。医師から「この日からこの日だよ」と言われて、カレンダーにたくさん印を書き込んだ。妊娠検査薬を使うたび、「今回こそは」って祈っていました。

 でも1年くらいできなかった。ドラッグストアに妊娠検査薬を買いに行くと、店員に「また買いに来ている」と思われそうで、毎回違う店に行きました。

 次に(精子を直接子宮に注入する)人工授精に進みました。1回の治療に2万円ほどかかり、5回以上受けました。治療の際、体内にカテーテルを挿入するため痛みを伴い、妻はつらそうで。肉体的、精神的そして金銭的にも負担は大きかったです。

 それで、人工授精を一休みしようとなった。1回の治療に35万円ほどかかるという体外受精(卵巣から採取した卵子と精子を体外で受精させて子宮に戻す)に進むのか、人工授精を続けるのか、じっくり考えようと。そしたら、その休憩期間中の今年1月に妊娠が分かったんです。びっくりしました。

結婚9年目に授かった双子の赤ちゃん

▽つわりでシイタケ食べられず…「俺の子だ」

-うれしかったでしょう?

 待ちわびた分、本当にうれしかった。しかも「2人いるっぽい」と聞いて、笑ってしまった。好き嫌いなく何でも食べる妻が、つわりで私の嫌いなシイタケを食べて吐いた。「ああ俺の子だ」って、そこで実感が湧きました。

 でも妊娠が分かってから、割と慎重でした。初産で年齢も高めで、双子というのが重なって。医師に、生まれるまで、どうなるか分からないとも言われていた。流産や早産のリスクも頭をよぎった。出産まで激しいつわりが続き、見ていてもつらかったです。