「オヤ31」という名前を使わせていただいていますが、これまで実際に見たことがあるかどうかは記憶が定かではありませんでした。ただ、はっきりと覚えているのは、幼稚園のころに買ってもらった図鑑で、他の車両とは違う姿に夢中になったということ。私が鉄道にのめり込むきっかけでもあります。
 
 「オヤ31」の正しい名前は「建築限界測定用試験車オヤ31形」。列車が走行した際に車体が設備や建築物(トンネルや架線柱など)と接触することがないよう確認するための車両です。
 
 先日、愛知県名古屋市に行く機会がありましたので、「オヤ31形」が静態保存されているJR東海のリニア・鉄道館を訪れました。
 
 
 名古屋駅から名古屋臨海高速鉄道(通称:あおなみ線)で24分。名古屋港金城ふ頭の一角にあるこの施設は、東海道新幹線を実際に走っていた歴代の車両のほか、磐越西線の「ばんえつ物語号」でも活躍しているSLのC57形(展示されているのは139号機、ばんえつ物語号で使用されているのは180号機)などが展示されています。
 
 
 それらの車両が鎮座するフロアの奥に、オヤ31形は静かに展示されていました。
 
 
 車体は濃い茶色。展示されるにあたって塗装も改めて施されたと思われますが、その姿は「いまだ現役」と言われたらそのまま信じてしまうくらい綺麗な状態です。

 車両にはいくつもの「矢羽根」と呼ばれる突起物が取り付けられています。この矢羽根を出した状態で車両を低速で走らせ、接触するかしないかで車両が安全に走行できるかを確認していました。

 訪れた日の展示では、矢羽根が出されている状態。「かんざしを挿している」ように見えることなどから「おいらん車」と称された所以を、じかに知ることができました。
 

 車体をさらによく見ると、3つのプレートが取り付けられていました。
 

 一つは「東海旅客鉄道」。JR東海のことです。
 
 もう一つは「日本国有鉄道 長野工場 昭和34年改造」。この車両が、国鉄新潟鉄道局長野工場(現在の長野総合車両センター)で客車から「建築限界測定用試験車オヤ31形」へと改造された年を示すものです。
 
 そしてもう一つは「田中車輌 昭和12年」。田中車輌は現在の近畿車輌株式会社のこと。昭和12年(1937年)は車体が作られた年を示すものです。


 完成してから82年という年月を重ねてきたオヤ31形。長年、私たちの知らないところで、日本の鉄道の安全を守り続けてきました。

 自分もこのような生き方、年齢の重ね方ができないものかと、展示の前でしばし思いを巡らせました。

 

...
残り1047文字(全文:1055文字)